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前回日本を発ってから、先月をもって10年の時が流れた。
生まれ育った東京から海を隔てた北カリフォルニアの地でその日を迎えた。
一度帰国したものの、また出てきてしまった。
本当に旅がしたいのかもわからないまま。
今世界で起こっていることは、この得体の知れない力に支配された社会が覆される一つのきっかけに過ぎないのではないか。
そんなことすら思ってしまうのは、カリフォルニアの息吹を浴びたからなのか。
例えばあれだけのことが起こったにも関わらず原発を再稼働しようとする政府があったとして、
それに抗おうとする動きが生まれたとしても、
冷ややかに眺めている人間が大半を占める社会に空恐ろしさを覚える。
今こそ世界を取り戻すときではないのか。
生きるのに困らないだけの富と安全があるなら、自分からそれを壊そうとしないのは当然の話だ。
自らの繁栄のためには他者が犠牲になっても構わない、そう思うなら堂々と主張すべきだ。
主張した者こそが合法的に世界を牛耳る権利を得る、それがこの世の現状だろう。
結局自分の旅など、社会に属していたくないという幼稚な願望でしかないのだ。
口だけで何も行動を起こさず、安全な場所から吠え立て、
施されるばかりで施しもせず、
都合のいい時だけ日本人という立場を利用し、
誰より卑劣なのは他ならぬ自分自身だ。
それでも、自覚も罪悪感も持たずに生きるよりはまだマシかなとも思う。
現実から逃れようとする人々は罵倒されるべきなのか。
抜け出そうにも抜け出せない沼地にはまり込んだ気分だ。
抜け出さないのは、そこが快感だからだろう。
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