しもばの放浪日記

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哀愁のポルトガル
イギリス
↓2011.12.22
スペイン
↓2012.01.07
ポルトガル
↓2012.01.17
スペイン




話を年明けに戻す。

スペインで年末年始を迎えた後は更に西へ向かいポルトガルへ。ヨーロッパも色々と周り、未踏の国も(ポーランド、チェコ、オーストリアなど)限られてきた。もちろんドイツには3回も滞在しているのにベルリンには行っていなかったりと、当然抜けは多いのだが(そんなことを言っていたらキリがないが)、ともあれ、かつて世界を席巻したポルトガル。いつかブラジルなんかに行く機会があれば繋がりも垣間見れるかもしれない。せっかくここまで来たなら寄っておこうと足を運んだ。

そんなポルトガルであるが、個人的には実に好みであった。夏の太陽が燦燦と輝く時期ならばまた印象も変わったのかもしれないが、石畳の敷かれた坂道、人気のない細い路地、古い(ボロい)建物、ひるがえる洗濯物、なんというか、一言で言うと寂れてるのである。かつてブルガリアに行ったときに
(同じ『ヨーロッパ』と言えどもこうも違うものか)
感じたものだが、そのときと全く似たような感想。フランスからピレネー山脈を越えてスペインに入るとやはりちょっとした小汚さが目に付く。それでもスペインには独特の(猥雑さを含んだ)華やかさがある。だが、失礼かもしれないが、ポルトガルの景色には『くたびれきった』という表現が似合う。と同時に、やはりここも『ヨーロッパの果て』なのだと感じてしまう。

到着した初日、宿で知り合った人たちと共に飲みに行く。店内は地元のおっさんでひしめいていた。同行者の中にはフランス人の女の子がいた。
「おまえらどこから来たんだ!?」
一人のおっさんが尋ねてきた。その娘が
「フランス」
と答えると、おっさんたちは大喜び。
「サルコジ!メルケル!」
両手の人差し指をくっつけながら叫んでいる。要は、フランスのサルコジ大統領(当時)とドイツのメルケル首相はデキてる!なぜならいっつも会ってるからね〜、と言いたいらしいのだ。いや、あの二人が会っているのはあんたらも原因の一つと思うが……。

余談だが、ヨーロッパの不況っぷりは旅をしながらも感じることはあった。ロンドンで泊まっていた安宿は諸外国からの若者の出稼ぎ宿と化していた。多かったのはスペイン人、イタリア人、フランス人も職業経験のない若者はなかなか職に就けないらしく意外と多かった。自国の失業率が高いため、仕事も多く給料もいいロンドンに皆こぞってやってくるのだ(そして英語が話せないので職に就けず帰っていく場合も多い)。EU内なら自由に働けるというのは羨ましいシステムだが、これでは国単位で過疎化が起こりかねないのではないか。

ポルトガル料理も、スペインから比べるとより素朴で田舎料理っぽい雰囲気を醸していた。海洋国家だけあって魚介類も多い。特に代表的なものは『バカリャウ』と呼ばれる塩漬けされたタラの干物。もともと北欧から伝わったという話だが、どこの食堂でも一般的な料理としてメニューに上がっている。ここでやはり疑問に思う。確かに北欧でも、冬の間の一般的な保存食なのだろう、魚の干物は数多く目にした。だが、このバカリャウがスカンジナビアからここポルトガルに渡ったということは、絶対に別の場所を経由しているはずである。だがその国では、塩漬けされたタラを食べる習慣がなく、魚といえば油で揚げる。フィッシュ&チップスを食している。不思議なものだ。もっとも、日本の隣の半島では中南米原産の唐辛子による食文化が花開いている。その国の人からしたら
「なんで日本人はこんな美味いもん食べないんだ?アホじゃねーの?」
という感じであろう。まあどこででも起こりうることではあるのだろうが。



かつての大国、ポルトガル。ポルトの大聖堂内部のキリスト像の足元には丸い地球儀が据えられていた。大航海時代によって発展した国を象徴するひとコマだ。そして、首都リスボンで訪れた博物館。展示の内容はやはり大航海時代が中心である。中には南蛮貿易による日本との繋がりを物語るものも。これはある種、目から鱗であった。なるほど、学校では『日本史』という流れの中で勉強するので(その前の鉄砲やキリスト経伝来などの流れもあり)、海外から一方的に色んなものが入ってきたという受け取り方をしていた。だが、当然ながら、こちらから伝わったものも数多くあったのである。

同じように、各地のエッセンスを取り入れて変容したポルトガル文化がいくつも紹介されていた。特に印象に残ったのは、インドの曼荼羅の影響を受けたタペストリー。中央に描かれた柄は親鳥が自らの身を傷つけ、そこから吹き出る血を雛に与えているというもの。西洋においてこのような絵柄は非常に珍しいように思える。どことなく仏教的な(どことなく手塚治虫的な)発想ではないか。だが、考えてみると、自らの身を犠牲にして分け与えたキリスト経の精神と何ら矛盾するものではない。文化が徐々に変化するのではなく、別の場所から異なる要素が飛び込んで入り混じったような感覚。陸路を線で移動しながら旅をするのも楽しいが、例えばゴア、マラッカ、マカオなど、旧ポルトガル領だった場所を点々と辿っていったりするのも(それもやはり線なのであろうが)また別の面白さが感じられるかもしれない。

リスボンの高台でギターを奏でる老人がいた。時折幾人かの旅行者が訪れるだけの場所に流れるその音は、リスボンの寂れた情景に溶け込んでいた。老人は静かに爪弾き始めた。
"While My Guitar Gently Weeps"
アイルランドのPUBでブルースのステージを見たときも同じことを思った。同じ曲でも、この老人を通して出てきたその曲は、彼の人生を反映しているに違いない。全く別の場所で生まれたものが一つの存在の中に息づく。どこででも起こりうる。だがそれは、やはり特別なことだと思う。


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