しもばの放浪日記

<< August 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | | - | - | - |
無題
セルビア
↓10.20
ボスニア・ヘルツェゴビナ
↓10.29
クロアチア
↓11.02
スロベニア


セルビアに入国した初日、ユーロ予選『イタリア×セルビア』を見るべく飲み屋に入った。だが、観戦することはできなかった。セルビア人フーリガンが暴れたために試合が中止となったのである。客席でアルバニア国旗が燃やされた。

旧ユーゴの旅はそんな風に始まった。つい20年前にユーゴスラビアは崩壊した。その後の紛争。いたるところでその傷跡を目にする。ベオグラードにはNATOの空爆を受けた建物が残る。前述した『アルバニア国旗』の件も、アルバニア人が大多数を占めるコソボの独立問題のためである。ボスニア・ヘルツェゴビナ。古い建物にびっしりと刻み込まれた銃痕が生々しい。

同じ国でも地域によって文化の色合いが全く異なる。セルビア南部、コソボに程近いノヴィ・パザルという町。住民のほとんどはイスラム教徒であるらしく、町にはモスクが立ち並ぶ。カフェは多いが酒を飲める店は少ない。スーパーでビールを購入した若者も、外から見えないよう新聞紙で包んでいた。毎度ながらイスラム圏に入ると音楽までアラブ調にガラッと変わるのは面白い。車で5時間の首都ベオグラードは本屋ですらトランス・ミュージックが流れていたのに、である。町の中心の広場では老人たちが巨大チェスに興じる。
「○○よ(おそらく市長の名)、ボシュニャク人が票を投じた真意をリスペクトせよ」
そんな横断幕が掲げられていた。

旧ユーゴ諸国において、最大の紛争被害国となったボスニア。セルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人による民族対立から内戦が勃発したのである。おおまかに言ってしまえば、そもそもこの三民族は同様の言葉を話す南スラブ系民族であり、民族の区分は信仰する宗教の違いでしかない、ということらしい。セルビア人はセルビア正教、クロアチア人はカトリック、ボシュニャク人はイスラム教徒。それぞれの教会、モスクが同じ地域に近接して建つ首都サラエヴォの姿は実に興味深いものだった。

クロアチアの首都ザグレブ、ハロウィンの翌日は『諸聖人の日』と呼ばれる祝日だった。カトリック大聖堂に赴くと、バス停の前に長蛇の列が出来ていた。「全ての聖人と殉教者を記念する日」ということだが、要は日本で言うところのお盆のようなものであるらしい。皆、郊外にある墓地へ向かうところだったのだ。広大な墓地は色とりどりの花々で彩られ、中央にあるキリスト像はろうそくの陽炎の中に佇んでいた。

ベオグラードのセルビア正教大聖堂、一人のおばあちゃんがイコン(聖像画)について一生懸命説明してくれた。
「彼は上海に赴いて孤児たちを引き取ったのよ」
そんなことを言っているようだった。

サラエヴォのモスクでは車椅子のおじいちゃんが毎日礼拝に訪れていた。中で礼拝している彼氏を待っているデート中の女の子の姿もあった。

スロベニアの田舎町の教会で見たミサの光景は素敵だった。ミサの最後、神父さんがイチゴの入った壷を取り出すと、子供たちがわっと集まった。人の良い笑顔で一人ひとりに手渡していく。嬉しそうに頬張る子供たち。信仰の根本とは本来そんな単純な喜びにあるのではないか、そんなふうに感じさせられる瞬間だった。






スポンサーサイト
- | 18:08 | - | - | - |
トラックバック
この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。
 

(C) 2020 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.