しもばの放浪日記

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大陸へ


オーストラリア上陸。人生初、ユーラシア以外の大陸へ。

ユーラシア横断する予定なのになぜかオーストラリアへ。理由はいくつかあった。

1.チベットに行きたいが真冬に行くのは寒そうなのでオーストラリアで冬(つまり夏)を越す。
2.旅資金を稼ぎたい。なのでワーキングホリデーのビザを取得。
3.4月中旬にタイで行われる水掛け祭りに参加したい。

ついでに英語が上達すれば言うことなし。しかも3ヶ月以上農場などで働くと、2度目のワーホリの権利が手に入るのだ(31歳になるまでに入国が条件)。当初の予定では、オーストラリアあたりで年越しを迎え、3ヶ月ほど働き、4月半ばに合わせてタイに戻るつもりだった。しかしながらこのとおり、3月になってようやくオーストラリアへ。予定を大幅に上回るスローペースっぷりに自分でも呆れるばかり。

それに伴い、今後のプランも変わってきた。今の段階では2パターン。
A:早めに仕事を見つけ、2度目のワーホリの権利を手に入れたらすぐ、東南アジアへ戻る。
B:いっそのこと、1年間じっくりオーストラリアに滞在してみる。

[A]の場合だとタイの水掛け祭りは断念することとなる。さらに、秋頃にインドらへんを抜ける計算になるので、その先のパキスタン、イランあたりで凍えそう…。だが、2度目のワーホリの権利はあるのでお金が無くなりそうな頃にで出稼ぎできる。

[B]だと、一年後の4月にタイに行けるし、夏前にチベット越えも出来る。だが、こんな旅の序盤で一年も足踏みして良いものか…。一年いるからにはオーストラリア一周もしたい。そうすると貯金が出来るかどうかも怪しい。しかも、さすがにそれだけの期間いると2度目のワーホリはさすがに出来ない。(それをやってしまうと旅そのものがワーホリメインになってしまう)

更に、それ以外の要素、初めのうちは「ついで」であったはずの「英語上達」が、旅を進めるにつれ重要度を増してきた。旅そのものを充実させるにはやはり英語力の向上が不可欠なのではあるまいか。そんなことを考え出すと、滞在期間には悩みに悩んでしまう。

結論…どうせ3ヶ月働かなきゃいけないのは変わらないんだから、働いてから考えりゃいっか。

結局そうなる。とりあえず職を探さねばどうにもならん。
入国審査
結局、インドネシアからオーストラリアへは飛行機を使ってしまった。この旅ではじめての飛行機移動。船も探してみたけれど、どうしても見つからなかったのだ。
「たぶん今は飛行機よりも船のほうが高いわよ。わざわざお金出して時間かけて船で行きたい人なんていないんじゃないかしら」
バリ島の日本食屋のママさんの言葉。なるほど、ものすごく説得力がある。噂では、バリのヨットハーバーからオーストラリアに帰るクルーザーをヒッチハイクするという手段もあるらしい。が、ゲイが多いので危険とのこと。うーむ…さすがに断念。

飛行機で5時間。機内の映画は『マリー・アントワネット』。字幕の出ない映画を眺めながら、これから向かう「英語の国」への不安を募らせる。入国審査はちょっぴり緊張していた。年末にバンコクからオーストラリアに向かった友人が、
「日本人なのになぜバンコクから来ているのだ」
という理由で1時間半も尋問に遭ったというのだ。英語でガンガンまくしたてられたらどれだけ理解できることやら。不安な心をひた隠しつつ入国カウンターへ。

…拍子抜けするほどあっさり通過。カウンターのおっちゃんはとってもフレンドリーだった。会話がわからない部分は笑顔でカバー。なんだ、ぜんぜん楽勝じゃないか。よく考えたら今までもすんなり国境通過してたもんな。結局、いい人に当たるかめんどくさい人に当たるかも運次第。そうそう引っかかるものではない。

が、難所はこのあとだった…。

問題になったのはバリ島で購入したジャンベ。太鼓など全く叩けやしないのだが、ドラムショップの店員と仲良くなって完全なる衝動買い。これが持ち物検査で引っかかった。

係員がしきりに英語で説明する。
「…………アイトウィークス」
「アイトウィークス?」
「Yes.アイトウィークス」
???
アイトウィークスってなんだ?なんのことやらさっぱりわからん。仕方が無いので手持ちの英和辞典を係員に手渡す。辞書引いて教えてくれ!

【week】:週、1週間

あ…eight(8) weeksですか。訛りが強すぎる。This is Australian English.ぐっだいまいと。

つまりはこういうことらしい。このジャンベは動物の皮が使われているので検疫の必要がある。そして検疫には8週間ほどかかる。更には、検疫料として60オーストラリアドル(約5400円)払わなければならない。日本に送るなら30ドルとのこと。しかし、買ってから3日しか経っていないジャンベを送り返すのは悔しすぎる…。

結局60ドル支払った。『5000円で買ったジャンベに60ドル』支払った。これがオーストラリア入国の洗礼か…ちきしょう。これだから飛行機は嫌だ…。もっとも、船だったら更に厳しい可能性もあったけど。

ちなみにたどり着いたのはパースというオーストラリア南西部の街。ほんとは北部のダーウィンにしたかったのだが、飛行機の関係でパースの方が2日多くインドネシアに滞在できたのだ(しかも飛行機代は同じだった)。が、ここでもひとつ問題発生。現在3月。オーストラリアは夏の終わり。もしかして…これから寒い!?


就職活動
いまだ英語の世界に馴染めない。カプチーノを注文したらカップティーが出てきた。発音の悪さに我ながらうんざり。

Perthから、電車とバスで5時間ほど南のDonnybrookという町へ。駅前の街灯がリンゴをかたどっていたり“BIG APPLE”という店があったりと、やたらとリンゴをアピールしている町だ。オーストラリアの青森みたいなとこなのかもしれない。



この町にやって来たのも、リンゴのピッキングの仕事が始まるという噂を聞きつけたため。が、実際来てみると始まるまでにはあと2、3週間ほどかかるらしい。その前は洋梨やプラムの仕事があったが、それらもほぼ終わりかけて今はちょうど谷間の時期だということだった。

この手の仕事は田舎町の安宿(Backpackers)に泊まり、そこから仕事を斡旋してもらえる形になっている。もちろん自分で直接農場に交渉することもできるのだが、町からおそろしく遠いため車でも持ってないとどうにもならないのだ。そんなわけで、宿でひたすら仕事を待ち続ける一週間…が、待てど暮らせど仕事がもらえる気配がない。

この町には安宿が二つあった。情報収集をするにつれ、自分が滞在している宿よりも、もう一つの宿の方が仕事を多く持っているらしいことがわかってきた。しかも、聞いた話だと、その宿は週末に10人くらい人が抜けるらしい。ならば移動あるのみ、だが、そっちの宿は一つ悪い噂があった。オーナーが大のアジア人嫌いで、ヨーロッパ人ばかり宿に受け入れているというのだ。

嫌いだといってもたかが知れてるだろうと思っていた。しかし、明日から滞在したいという旨を話すと、「明日はFullだ」の一点張り。
「じゃあ明後日に来る」
「明後日もFullだ」
宿の敷地にテントを張って滞在しているヨーロピアンが一組いた。
「テントを持ってる。それを使って滞在したい」
「明日テントが3組来る。うちの宿はテントは4組でFullだ」
ウソつけ、このやろー!!

人種差別っぷりにムカっ腹が立ったので、さらにバスで1時間ほど南に下ったManjimupという町へ移動。しかし、ここもあまり仕事がないらしい。早くも一週間、何もせずに過ぎ去った。こちらの宿は長期滞在の場合は週単位で料金を支払うことが多い。次の週の宿代を払わなければならなくなったので、試しに
「仕事をもらえなかったのでお金がない。給料日まで待ってくれないか」と言ってみた。
「それはできない。払ってもらわないと困る」
「わかった、じゃあ誰かにお金を借りてなんとかしてみる。ところで、明日は仕事ない?」
そこまで言ってようやく仕事がゲットできた。どこの国でも職に就くのは簡単なことではないらしい。やれやれ。
早一ヶ月


ワーキングホリデービザは、最長2年間もオーストラリアに滞在できる。なので、周りの人間も比較的まったり暮らしているし、その相乗効果でどうしても日々の生活がスローペースになりがちだ。更に言えば、結構な田舎町で生活しているので、忙しくしようにもやることが見つからないのだ。他の国は最長で1ヶ月の滞在だったのに、オーストラリアに来て早くも1ヶ月が経とうとしている。ほとんど何もしていないような気がしてならない。

個人的な感覚では、アジアは割と短期の長期旅行者(変な表現だけど…)が多いので、旅立って3ヶ月を超えたくらいからなんとなく『中堅クラス』って感じがするのだけれど、こっちは1年とか1年半とかがゴロゴロいる。日本を出てから5ヶ月なんて、しかもオージー入りして1ヵ月なんて、まだまだ『ひよっこ』に違いない。

アジアとの違いには様々な部分で衝撃を受けた。一番げんなりしたのは、やはり物価の高さ。なんせ空港から市内に向かうバス代を払った時点で、東南アジアで一日に使う金額を超えてしまった。

「旅行」と「生活」の違いにも戸惑うことが多い。みんな携帯電話を持っているし、パソコンを持ち歩いている人もいるし、中古車を買って移動している人なんかもいる。自分としては「旅」というスタンスを崩したくなかったので初めのうちは抵抗があったのだが、結局ケータイを購入してしまった。これがないと仕事のゲットもままならないのだ。

ワーホリというのは、ある種の制約はあるものの、働こうが学校に通おうが旅行しようが本人たちの自由。留学しようともそれに憧れたこともなかったけれど、こういう生活もまたそれはそれで楽しかったりもする。が、日に日に寒さを増してきた。日本のほうが暖かくなる日も近いかもしれない。出来れば、本格的に寒くなるまでにお金を貯めて北へ逃げたいのだが…どうなることやら。
初仕事
こちらの国の宿の滞在費は1週間でだいたい100オーストラリアドル前後といったところ。当然東南アジアと比べるとものすごく高い。が、ホットシャワーやらトイレに紙が付いてたりやらでいちいち感動できるのがアジア帰りの強みでもある。

『ザ・シンプソンズ』が毎日見られるのもこっちに来て嬉しいことの一つ。こないだのエピソードはなんと偶然にもシンプソンズ一家がオーストラリアに行くというものだった。コアラが電柱に上ってた。リサがサックスの代わりにディジュリドゥを吹いてた。バートがアメリカから持ち込んだカエルが大量発生してオーストラリアの作物を食い荒らしていた。オーストラリアの検疫の厳しさはネタになるくらい有名なものだったらしい。

ワーホリで来ているヨーロピアンはたくさんいるものの、この国ではアメリカ人を全く見かけない。誰かにその話をしたところ、
「こんな田舎に来たくないんじゃないの?」
という答えが返ってきた。確かに、シンプソンズの中で描かれていたオーストラリア像もだだっ広い道に農場しかないような超ド田舎扱いだった。

世界で6番目に大きな国土を持ちながら、オーストラリアの人口は東京都と神奈川県の人口を足したくらいしか無いらしい。そのくせ主要産業が農業なものだから、どうしても若い労働力が必要になる。というわけで色々な国とワーキングホリデーの提携をして労働者を獲得しているのだ。最近では「セカンドワーキングホリデー」というシステムを作り、ローカルの農作業などに3ヶ月従事するともう1年間ワーキングホリデービザを取ることが出来ようになった。それによって農場での仕事を求める人を増やすことに成功したそうだ。

というわけで、リンゴのピッキングジョブを求めて農場しかないような田舎町に来たものの、人がいっぱいでなかなか入り込めず。記念すべき海外での初仕事はポテト工場での25kgのポテトの袋を山積みしていくという重労働。20歳のアーミー上がりのドイツ人に助けられながらなんとかこなしたのであった。当然翌日はものすごい筋肉痛に襲われた。仕事が無いときは「何でもいいから仕事がしたい!」と思うものだが、いざ始まってみると仕事に行くのがめんどくさくて仕方なかったりする。そんなもんなのだ。

食生活
オーストラリアにいるというと毎日オージービーフを食って暮らしていると思われることがままあるが、当然そんなことはない。毎日肉さえ食ってれば満足などという貧困な味覚の持ち主にはなりたくないのだ。旅に出てから様々なものを食べてきたけど、やっぱり日本ほど食がバラエティに富んだ国はないと思う。そして日本ほど味付けが繊細な国もまた皆無だと思う。それに、確かに日本と比べればずっと牛肉は安いかもしれないが、それにしたってやっぱりステーキは高級だ。

言ってしまえば結局のところ金がない。食えるもんなら毎日肉でも食って暮らしてみたいもんだ。そんなわけで、なんとこっちに来てからというものほぼ自炊生活中だ。

いま滞在しているバッパーは、すぐ近くにスーパーがあって重宝している。閉店前にスーパーに駆け込んでは安くなったパンや賞味期限寸前のヨーグルトを買い漁る切ない日々。インスタントラーメンと言えば$0.8の「出前一丁」が主流だ。$2.0もする「カップヌードル」なんてとても買えない。
「カップヌードルを『高級』なんて呼ぶ日が来るなんて思わなかった」
こないだ友人が呟いた言葉が印象的だ。

こんな爪に火を灯す日々ながらも、韓国人からチゲ鍋をもらったり、台湾人に「青椒肉坐」の作り方を教わったり、香港人が酢豚を作ってくれたり、フランス人におしるこを食べさせたりと、共同生活ならではのなかなか楽しい食生活。日本人ファミリーで餃子やお好み焼きパーティーなんかもやってみた。





ところで、今月13日で旅立ってからちょうど半年。旅立ちの日と同じく13日の金曜日だった。記念日ということで、町に一軒だけある(安)ホテルのレストランでディナーを食べてきた。$22のビーフステーキ。が、自分の舌では、スーパーで売ってる安い肉を自分で焼いたのとどう味が違うのか全く理解できなかった。一年記念のときにはもっとちゃんと高級なものを食べようと思った。
映画鑑賞
現在滞在しているバッパーにはプロジェクターが備わっている。ケーブルテレビまで映るので毎日映画三昧だ。こないだは『スターウォーズ』全6作を一気に放送するという企画をやっていたのでオープニングの部分だけ全てコンプリートしてみた。時間はあるがお金が無い。ヒマなときにはこんなアホなことに情熱を注ぐしかないのだ。

色々な映画は見られるけれど、もちろん英語の世界なので字幕など無い。だが、実際見てみるると言葉がわからなくても面白い映画かそうでない映画の見分けは不思議とつくものだというのが分かった。自分的にはここ数年「アクション映画みたいな内容の薄っぺらい映画なんてくだらなくて見てらんねーぜ」というスタンスだったのだが、改めて見るとよく出来てる映画はほんとによく出来てる。もちろん、アクションは映像だけで楽しめるというのもある。逆にしんどいのはサスペンス系。面白そうな映画はたくさんあるのに内容が全く理解できないのがもどかしい。

“World Movie”チャンネルというのもあったので日本映画を探してみたら、ゴジラとカウボーイビバップとスチームボーイ……日本は特撮とアニメの国か。あとすっごいくだらないホラー映画が一つだけやっていた。誰かが持っていたらしい『座頭市』のDVDが流れていたときはなかなか好評だったようだ。

アジアものと言えば他にはKorean Movieとジャッキー・チェンなんかがたまにやっている。『ラッシュアワー』が流れていたときは妙にジャッキーを応援してしまった。自分が英語で苦戦しているだけに、アジア人が英語圏の世界を相手に頑張ってるのを見るとなんだかグッと来るものなのだ。

ジャッキーと言えば思い出すのが中国を旅していたときのエピソード。中国というのは残業の無い国だ。中国における営業終了時間というのは「店の開いている時間」ではなく「その時間までに片付けまで終えて従業員がきっちり帰ることのできる時間」のことを指す。公営の博物館に行ったときに荷物を預けなければならず、閉館5分前に預かり所に戻ると係員がみんなでお菓子を食いまくりのだべりまくり。あまりの終業ムードに唖然としたときもあった。

そんな中国は桂林の映画館でジャッキーの新作を見た。きっと言葉がわからなくても面白いに違いない。その予想はピタリと当たった。アクションはもちろん、笑いどころまできっちり理解することが出来た。が、一番のサプライズは最後に待っていた。本編が終わりエンドロールになった瞬間、なんとスクリーンの映像がブツッと切られたのだ。えっ…NGシーン見らんないの??金返せー!!


上海の街角にはあの人がいた。
野球観戦
1945年4月15日、メジャーリーグに初の黒人選手が誕生した。ジャッキー・ロビンソン。今年は彼のメジャーデビュー60周年にあたる年らしい。

前回も書いたとおり、現在滞在しているバッパーにはケーブルテレビが備わっている。映画だけでなくスポーツも然り。まさかオーストラリアでBaseballが見られるとは思わなかった。もちろん日本のプロ野球は無理だけど、メジャーリーグは週に数試合は放送されているのだ。

北太平洋沿岸とカリブ海あたりでしか流行っていないマイナースポーツだけに、怪訝そうな目で見ている欧米人も多い。が、中には興味を持ってくれる人もいたりして、
「この得点の隣の数字はなんなんだ?」
「これはヒットの数だ」
「なんでさっきの選手が打ったのに数字が増えない?」
「セーフにならないとダメなんだ。ダイレクトキャッチだとアウトになるんだ」
なんて説明しながら見るのもなかなか楽しい。

それにしても、見る試合見る試合、毎回のように日本人選手が出場していて驚かされる。なんと松坂の本拠地初登板、vsマリナーズ戦まで生で見ることが出来てめちゃくちゃ感動。しかしながら、松坂vsイチローのときは日本時代の映像が流れたり音声がNHKに切り替わったりと色々と演出されるのに、城島がいまいちクローズアップされないのはいかがなものか。まあともあれ、次に見た試合では岡島がヤンキースの主軸相手に9回を抑え、更に次には松坂から岡島へのリレー。その翌日はヤンキースvsデビルレイズ。井川が投げたその試合。ジアンビーが打って、A・ロッドが三塁に滑り込んだのを岩村がタッチしたけどセーフになって、次のバッターは誰だろうと思ったら6番松井。なんだこれ、すげぇ。

で、井川。阪神ファンとしては当然応援したい気持ちはある。しかしようやく見ることが出来たこの日の試合では、味方に点を取ってもらった直後に取られる悪いパターン。最後は岩村にタイムリーを打たれ5回持たずにノックアウト。ものすごくイライラしながら見てたけど、よく考えたら井川を見てイライラするのも実に久しぶりのことで、まさか海外の地で井川に苛立つなんて想像もしていなかったわけで、なんだか変に懐かしくなって、じーんと来たりもしたのだった。が、こないだも『ヤンキース投手陣の崩壊』みたいな特集で映像を流されていた。なんとか俺がニューヨークにたどり着くまで頑張ってもらいたいものだ。

ちなみに日本人選手の活躍に伴って客席にも日本語のプラカードがちらほら。レッドソックスvsヤンキース戦では『ヤンキース、ゲス野郎』の文字が。
「なんて書いてあるの?」と聞かれたので
「◯ァックオフ、ヤンキース」と答えておいた。うーん、合ってるだろうか。


松井vs松坂。
さよなら、さよならシガレット
全ての繋がりの上に人は生きている。
戦争の中で芽生える恋もある。
時に人は、そこに争いが存在したことにすら感謝を覚える。

煙草は毒だと人は言う。
些細なことに目くじらを立てるあいつに
スピード制限をきっちり守った例があるのか。
排気ガスを撒き散らしながら
電磁波が渦巻く世界で
添加物を頬張りながら人は生きている。

煙草が生み出したドラマがある。
煙草が紡ぎ出した文化がある。
煙草が与えてくれた恩恵がある。
全ての繋がりの上に人は生きている。

そもそも強権的謙煙家の言うところの
完全なる分煙社会の確立という奴は
最終的には社会からの煙草の存在そのものの抹殺に辿り着くわけで
恐ろしいのは自分たちが絶対的な正義であると思い込んでいる点で
結局のところ狂信徒が異教徒に対するそれと変わらない。

もちろん、狂信徒との繋がりの上にお前は生きているのだと言われれば、何の否定のしようもない。

煙草が毒だと言うならば
焦りや不安や疑心暗鬼にまみれた心ごと
その毒に体を浸らせてみよう。
そんな刹那的な瞬間が心地良く感じるとき
時に人は、そこに迷いが存在することにすら安らぎを覚える。


ジャワ島のブロモ山。

旅においてのタバコは、コミュニケーション手段の一つだ。隣に座ったおっさんがタバコを勧めてきたり、逆にタバコを勧めることをきっかけに会話が始まることもある。タバコは購入しない、が、貰いタバコは断らないというスタンスで旅を進めてきた。初めてそのルールが破られたのはタイで行われた「レインボーギャザリング」に参加したとき。お酒が禁止、または好まれない場所では酒を断つ代わりにタバコはOK、そんな緩いルールを作り出してしまった。

というわけで、マレーシア、インドネシアのイスラム教国では酒は飲まずにタバコを買っていた。ジャワ島を出る直前、最後のタバコの地に選んだのは、東部のブロモ山というところ。標高が2000mを超えるその地は、赤道近辺のインドネシアながらものすごく寒い。高台から見下ろすとその下に平地が広がっていて、向こうにポッカリと山が立ち、隣の山の火口からは絶え間なく噴煙が上がっている。その煙をタバコの煙と重ねながら、最後の一本を吸ったのだった。

しかし、オーストラリアに来て何かと持て余しているうちに、次第に貰いタバコが増えてきた。正確に言うと、向こうからくれるタバコではなく、自分からタバコをねだることが増えてきた。このペースで行くといずれ間違いなく購入してしまうことだろう。いま一度、タバコは吸わない(貰いタバコは断らない)というところに気持ちを押し戻そうと思う。

理由は簡単。タバコは体に悪いからだ。
呼んでいる胸のどこか奥で
オーストラリア、そしてManjimupという町に来て2ヶ月が過ぎた。観光めいたことはほとんどしていない。仕事をしているか、仕事が無ければバッパーでダラダラしているか。映画を観ているかベースボールを観ているか。卓球とビリヤードがちょっぴり上達した。すぐ近くにある図書館になんと日本語の本が20冊ほど置いてあったのはありがたかった。現在は「三四郎」を読み途中だ。

そんな田舎町暮らし。観光らしい観光と言えば、ダイヤモンドツリーと呼ばれる50mほどの木に登ったこと、マーガレットリバーのワイナリーで試飲をしたこと、そしてバッセルトンという町に行ったことくらいだ。

このバッセルトンは、『千と千尋の神隠し』に出てくる海を走る線路のモチーフだと言われる橋がある場所だ。ちなみにオーストラリアにはジブリ映画のモチーフと言われる場所がたくさんある。風の谷はエアーズロック近辺にあるし、ラピュタのモチーフはケアンズ近くのパロネラパークというところ、猫バスのモデルはパースに走るキャットバスという無料バスだなんて話まである。

もちろんどれも噂に近いものなのでどれがどこまでどうなのかはわからないが、たしかにそう言われてみればそう見えないこともない。『千と千尋』自体にあまり思い入れが無かったのでそこまで興奮できなかったのが残念ではあったが、さっきまで降っていた雨が辿り着いたときにちょうど止み、雲間から光が差し込んで、遠くの空に虹までかかり、映画云々抜きにして見事な景色が楽しめたので満足であった。



余談だが、『千と千尋』の湯殿のある町のモデルは中国の麗江というところらしい。風の谷はパキスタンのフンザが有名だ。カンボジアのベンメリアという遺跡もラピュタのモチーフだと言われている。アンコールワットから少し離れたところにあるこの遺跡。アンコールの壮大な感じももちろんいいのだが、綺麗に復元されているアンコール等とは逆に、この遺跡は発見された当時の状態なるべくそのままで保存されている。瓦礫を乗り越えながら木々が生え茂った朽ち果てた遺跡をくぐる。アスレチック感覚、そしてラピュタ気分が楽しめる。人もそんなに多くないのでゆったりと遺跡に浸れる、お気に入りの場所の一つだ。


カンボジアのベンメリア遺跡。

そして、オーストラリアと言えば、本日ついにカンガルーを目撃。車に轢かれたカンガルーの死体は見たことがあったが、生きた野生のカンガルーを見るのは初めてであった。あいつらほんとに跳ねやがる。ちょっぴり感動。

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