しもばの放浪日記

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新大陸へ
スペイン
↓2012.01.29
イギリス
↓2012.06.22
フランス
↓2012.06.25
イギリス


偶然の出会いにも恵まれ、5カ月近くもロンドンに滞在することができた。これだけ長居をした理由は一つ。ヨーロッパから北米大陸へと渡るためだ。出来れば、北の大地アラスカから徐々に南下するルートを取りたかった。そのためにも夏を待ちたかったのである。

久々の都会生活。旅をしながらも感じていたことだが、改めて思う。純粋に地理的な意味で、広い世界を見てみたい、そう思って日本を出てきた。だがそれよりも、世界というのはきっととてつもなく深いのだ。どんな些細なことにも、数え切れない要素が複雑に絡み合っている。一つのものに触れては未知の世界を目の当たりにし、掘っても掘っても、更に世界は広がってゆく。きっと、一人の人間が触れることのできる世界など、この世のひと粒にも満たないのだろう。その中から一つを選び取り情熱を傾ける人の姿に畏敬の念を覚える。自分がこうして夏を迎えることができたのも多くの人たちの協力のおかげ。本当に感謝感謝である。

そんなわけで、遂に北米へと飛び立つこととなった。日本を発って6年目。ようやくの新大陸である。実に久々となる飛行機移動。一番安かったのはフランクフルト経由アンカレッジ行きの便。しかし、その行程は一筋縄ではいかなかった。

自業自得と言われればそれまでである。今回、アラスカ行きの片道航空券だけを購入していた。学生ビザや就労ビザがあるならいざ知らず、ビザ無し観光目的でアメリカに入国するには片道切符では難しい。ちゃんとアメリカを出国するチケットが必要となる。これは初めから聞かされていた事実だった。だが、自分はアラスカから陸路でカナダに行くつもりなのだ。復路の切符を買うのはお金の無駄だ。バックパッカーの間での常套手段として、偽のチケットを印刷して誤魔化すという手もないわけではない。しかし、無駄にドキドキするのも面倒だし、万一ボロが出た時に取り返しのつかないことになるではないか。結論。アメリカ本土ならばいざ知らず、これから行くのはアラスカである。テロの標的にもならないだろうし、きっちり時間をかけて説明すればきっとわかってくれるに違いない。追い返すのも手間がかかるだろうし、行ってしまえばこっちのもんだ。そうたかをくくっていた。

だが、そうは問屋が卸さなかった。ロンドンからわずか2時間、フランクフルトでの乗り継ぎの際に
「帰りのチケットが無ければ乗せられない」
ドイツの航空会社にそう宣言されてしまったのである。何を言ってもらちが開かず。今すぐ空港のチケット売り場で航空権を買うか、アラスカ行きのチケットを捨てドイツに滞在するか、二つに一つだ。そう言われてしまってはどうにもならない。交渉の場にすら立たせてもらえなかった。半泣きで空港をダッシュし、チケットを購入する羽目に。何より腹が立ったのは、アラスカでの入国審査の際にはチケットのことなど一言も質問されなかったことだ。ドイツ人の頭の堅さにしてやられた。あらかじめ往復チケットを買っていた方がよっぽど安上がりであった。



イギリス
↓2012.07.08(フランクフルト経由)
アメリカ合衆国
(アラスカ)

紆余曲折はあったものの、ようやくアラスカへと到着。入国してすぐに星条旗がお出迎え。空港を出る。やはり肌寒い。どーんと開けっぴろげに空が広がる。市バスで街の中心部へ。アラスカ最大の都市だがバスは一時間に一本だ。日曜とあって人気のない街並み。なんというか、『閑散』という言葉が似合う。とんでもないところへ来てしまったという気持ちが胸を支配する。宿に着き、早速最寄りのスーパーマーケットを教えてもらう。すぐそこにあるような口ぶりだったが、歩いてみると30分近くかかった。一区画一区画がやけにだだっ広いのである。

数日滞在しての感想は、アラスカといえどもやはりアメリカだということ。もちろん、アメリカ本土を先に体験していれば、
(やっぱり本土とは違うなー)
という感想になったのかもしれない。初の北米上陸になる自分としては、その比較が不可能なのだ。代わりに、ロンドンから一気に飛んできてしまったからだろうか、地理的にも文化的にも、今までなんとなく繋がっていたものがブッツリと分断されてしまったような感覚だ。これがせめて東海岸、例えばニューヨークあたりに飛んでいたら少しは欧州との繋がりも感じられたのだろうか。

距離の表示はマイル表記。これにはイギリスから来たので違和感ないが、気温75°Fなどと言われても、何のことやらさっぱり分からぬ。本当にデブ多しダボダボの服着てスケボー乗ってる若者もやたらといやがる。宿のリビングに置かれた特大のテレビで久々にベースボールを見た。コーヒーメーカーが置かれていて、アメリカンコーヒーをがぶ飲みできる。アメリカ英語が致命的なまでに聞き取れない。あちらとは使う表現も微妙に異なるのだ。店のショーウィンドウに銃痕があった。そういえば宿のレセプションにも銃持ち込み禁止の張り紙がしてあっただった。


6周年
今月の13日をもって旅に出てから6年を数えた。すなわち、小学生が中学生になるくらいの時を経てしまった訳だ。それだけの成長を自分が遂げることが出来たかと問われれば当然そんなはずもなく、流れゆく日々を漫然とやり過ごすばかりである。

中国行きのフェリーに始まり、東南アジアでの出会い、オーストラリアのワーホリ生活、中央アジア・シルクロードの旅、エジプトでの沈没生活、欧州探訪、アフリカ縦断、イギリスでの自転車旅、ロンドンでの長期滞在など、楽しかった思い出ばかりだが、戻りたくとも戻れない。仮に今東南アジアへ行ったとしても当時とは違った旅になるだろうし、現在移動している北米を学生時代に訪れていたとしても、全く異なることを感じていたに違いない。中にはシリアやイエメンのように、その国を取り巻く政情自体が変わってしまった場所だってある。全ては変化していく。当たり前の話だ。

アラスカで自転車を購入し、北米大陸を南下。6周年はカナダのアルバータ州北部で迎えた。前日の雪に埋もれた景色の中を、迫りくる冬に怯えつつ走る。一日一日、一刻一刻と確実に時間は経過してゆく。

その日の晩、北の空にオーロラを見た。地平からうっすらと伸びた光が、スーッと幕を引くように、左右に夜空を彩っていった。


World Baseball Classic 2013


アラスカ、カナダは置いといて、ほとぼりが冷め切る前にこちらを更新。

3月に行われるWBC、これに間に合うべく自転車を漕ぎつづける日々。この大会に照準を合わせてアメリカに入国したと言っても過言ではない。アメリカのビザ無しでの滞在期間は3ヶ月。バンクーバーから南下し、西海岸を通って決勝ラウンドの行われるサンフランシスコへ。上手いことタイミングを合わせなければならない。自転車移動なのでなかなか調整が難しいのだ。

開幕前から憂い事は絶えなかった。これまでの2大会と異なり、今回は2次ラウンドも日本で行われるらしい。つまり米国で見られるのは準決勝、決勝のみ。更には日本プロ野球選手会によるボイコット未遂。参加が決まって胸を撫で下ろしたものの、なんとも地味な監督人事。そして日本人メジャーリーガーの全員辞退。サンフランシスコがルート的に好都合なのは救いだが、この面子で果たしてベスト4に残れるのだろうか?日本を離れて以来プロ野球を見れていないので半数近く知らない選手なのである。

日本開催の一次、二次ラウンド。こちらでは夜中だ。インターネットでちまちまと観戦。台湾戦の井端でのタイムリーには泣きそうになってしまった。これが野球の面白さか。開放感と興奮が折り重なった、実に長らく忘れていた種類の興奮。試合が終わったときには朝の7時半であった。次の試合でオランダ相手に大勝し、過ぎてみればあっさりと、米国行きを決定させた。こちらもサンフランシスコ入りへ力が入る。

しかしながら、ある程度覚悟していたとはいえ、この国のWBCへの関心の低さにはいささかガッカリである。“関心”という言葉すら適当でないかもしれない。大会そのものが“認知されていない”と言うべきか。ある日、同宿でアスレチックスの帽子(アスレチックスの本拠地オークランドはサンフランシスコの隣町)をかぶった兄ちゃんが新聞のスポーツ欄を読んでいた。一面は春季キャンプレポート。「開幕はいつなの?」と話し掛けたことから野球の話題に。

「実は野球の試合を観るためにサンフランシスコを目指しているんだ」
「(サンフランシスコ・)ジャイアンツの試合かい?」
「いや、日本がプレーするんだよ。野球のワールド・チャンピオンシップなんだけど」
「あー、たまにメジャーの球団が日本で開幕戦やってるよね!
(この時点ですでに話が食い違いっている)
日本の何てチームが来るんだい?」
「いや、そうじゃなくて、日本代表、日本のナショナルチームが来るんだよ」
「野球のナショナルチームだって???」

こんな具合である。たまにスポーツの話題になって話を振っても、知ってる人に出会った試しがない。
「……国別オールスターみたいなもの?」
「まぁ、そうだね」

カフェで目にした新聞では、WBCに関するコラムに2度ほど出会った。そのどちらも、開催時期に疑問を投げかけるもの。『開幕前のこの時期に全力プレーなどして大丈夫なのか!?』 といった内容だ(逆に言えば、真剣に戦っているのは認めているということだ)。準決勝2日前、遂にサンフランシスコ到着。だが、その日、まさかの(?)アメリカ敗退。翌日、街を歩くも大会前日というのに大会の予感…というか大会名も目にしない。プエルトリコのユニフォームを着たおっさんに狂喜。そう、日本の準決勝の相手はプエルトリコに決まった。街でようやく出会った広告には『(準決勝、決勝の)3枚通し券、99ドルから!』の文字。やはりチケットは余っているようだ。というか、随分と値下がりしてないか……?

やられた!米国が敗退し集客が見込めなくなったか一気にディスカウントしたらしい。ドイツでの女子W杯決勝の際、「ドイツが負けたのでチケットも余るだろう」と高をくくっていたら直前に見る見る売れてゆき、手に入れるのに苦労した経験があった。なので今回は早めに購入していたのだ。完全に裏目に出てしまった。



準決勝当日、本当に人が集まるのかと、半ば不安になりながらもスタジアムへ。プレイボールまで5時間もあるので人もまばら…と思いきや!いるではないか。日本人、日本人、日本人。大勢の日本人が応援に駆けつけていた。皆ユニフォームに身をまとっている。知り合った日本人とチケットの値段について話すと、窓口へ行けば席を替えてもらえるとのこと。えっ、ほんと?すぐさまチケット売り場で尋ねてみる。差額は返ってこないが同じ値段の席(つまりより良い席)に交換してくれるそうだ。おかげでかなりの良席にグレードアップ!決勝戦に至ってはバックネット裏になった。この辺の機転の利き方には実に感心した。もちろん、初めからもうちょい安くしとけよとは思う。知らないままだった人もたくさんいたことだろう。(自分自身、初めは『知らないままでいれば良かった…』と思った)

ともあれ、随分と気分も軽くなり、隣の窓口に並んでいるおじさんに話し掛ける。地元ジャイアンツのユニフォームをまとっている。
「今日はどっちを応援するの?」
「俺にとっての開幕は来月さー、どっちでもいいよーー」
とにかく野球が観たくて仕方がない、のだと言う。なるほど、一般的には知られていないかもしれないが、裏を返せば、この場に来るのは生粋の野球好きばかりということになる。全身を日本に身を染めたアメリカ人のおっさんが、ホークスファンとソフトバンクのピッチャーについて議論していたのには驚愕した。松坂(レッドソックス時代)のユニフォーム姿も。ひょっとすると、これら米国の野球マニア達からしたら、『本物のマニアこそが注目する大会』という認識かもしれず、とすれば、これだけ多くの人が遠路はるばる応援しにくる日本という国に対して
「なんと野球マニアだらけの国なのだ!!!」
と驚いているかもしれない。そしてきっとそれは事実であろうと思う。

そう、日本という国は野球が人気No.1スポーツであるという、世界でも稀有な国の一つだ。発祥国のアメリカですらアメフトが一番人気である。大会の存在を知ったところで興味を示せない国はほとんどだろう。多くの日本人が『クリケットW杯』に興奮できないのと同じことだ(否定しているわけではない。インドやパキスタンの人からしたら『こんなに面白いものがなぜ理解できないのだ』と思うだろう)。ある意味、WBCで盛り上がれるのは、日本人が日本人である故の特権であるとも言える。ならばこそ、存分に楽しんでやるべきなのだ。

チケット値下げも、プエルトリコやドミニカの人もたくさん観に来れて良かったね、と思うことにした。多くのジャイアンツファンの来場も後押ししたことだろう。敗退した国の人々、とりわけメキシコの帽子をかぶった人の姿が目立つ。このAT&Tパーク。スタジアムの右翼フェンス後方はサンフランシスコ湾の入り江になっている。まだ練習の時間から、飛び込むホームランボールを狙って船で待ち構える人達。舞台は整った。準決勝『日本×プエルトリコ』開催である。プエルトリコ国歌斉唱。日本国国歌斉唱。そして……アメリカ国家斉唱。えっ?

結果は周知のとおりである。あの瞬間、スタジアムの時は止まった。だが、ああいうことが起こり得るのもまた野球の面白さなのだと思う。仮に成功したところで逆転できた保証もない。敗因を上げるならば、博打を打ったこと、それ以前になぜ博打に頼らざるを得ない状況に追い詰められたのかが問題だろう。もちろん、もし成功して逆転していたら『名采配』として賞賛されまくっていたのではあろうが…。ともかく、考えてみれば、ベネズエラ、アメリカを破ってきたプエルトリコが簡単な相手なわけがなかったのだ。



翌日の準決勝もう一試合、そして決勝。会う人、会う人がやたら野球に詳しい。そのことが面白かった。矢野がバックネット裏に座っていた、城島が近所のラーメン屋にいた、アルカトラズに行ったら古田に会った、色んな噂を耳にした。かつての日本の名選手たちがサンフランシスコ中に足跡を残している。なんとも奇妙なベースボール祭りだ。決勝、バックネット裏、感動。本場のボールパークで、こんな値段で座れるチャンスなど果たしてこの先あるのだろうか。せめてここまで日本が残ってくれていたら…そうは思うが、決勝当日にあることに気付いた。“この日のため”に日本から駆けつけた、そんな人達も数多くいたのだ。それはそうだ。準決勝か決勝、もしどちらかしか休みが取れなかったとしたら…自分だってこちらを選ぶ。中には空の上で日本代表とすれ違った人もいたかもしれない。旅を呆けている自分とは違う。アメリカで観戦することのできる唯一の、魂のこもった、大切な大切な一試合だ。

ドミニカ共和国、無敗優勝。本領発揮したメジャー軍団は強かった。選手達がマウンド上ではしゃぎ回る。ロビンソン・カノーは言った。
「この優勝は過去の全てを超越している。忘れることのできない瞬間だ」
ロドニーは言った。
「バナナが俺にこう言った。“私を近くに置いておけば、試合に勝てる”」
ほら、結局どの国も、勝てば皆盛り上がるのだ。アメリカだっていつか勝ったら…どうなるのだろうか。

前回はアジアの、今回はカリブの決勝となった。プエルトリコやドミニカという、普段はあまり日本と馴染みのないカリブの国々。この大会に熱狂した人々は、日本という国の存在をいつもより少しは近くに感じてくれただろうか。多くの日本人にとってもまた、プエルトリコという名をこれほど意識したことは今まであまりなかったのではないか。『Classic=伝統的な』という言葉にふさわしい大会になる日がいつか来るかはわからない。だが、決勝の地で、ドミニカやプエルトリコの人々と共に旗を振り、試合を彩った日本人たち。この先、“日本”の名に触れる度に、真っ先にその瞬間を思い浮かべる人がいるかもしれない。もちろん、その逆もあり得るだろう。それだけで、この大会の存在意義はきっと十分にあるように思える。願わくば、一歩一歩、少しずつ成長していかんことを。


7周年


例えば視点をわずかにずらしただけで
異なる印象の写真が映し出されるというのなら
たった数cm身長が違うだけでも
人は全く別の世界を生きていることになりはしないだろうか。

胸に秘める純真性を求める感情と
表層にまとわりつくドロドロとした欲求がもつれ合いながら
自らに課したルールが少しずつ崩れてゆく中で
前進するのか退くのか、それとも留まりつづけるのか
自分が本当に優先すべきものは何なのか
限られた選択肢から選び取っていかなければならない。

昨年の10月をもって旅に出て7年。その日はメキシコで迎えた。
一刻一刻胸を締めつけられる想いだ。

さあ遂に
メキシコ
↓(空路)
アルゼンチン

ウルグアイ

ブラジル


転がりこむようにブラジル入り。
金銭的にはまったく予断を許さないが、
この旅の集大成となる覚悟をもって臨みたいと思う。




ブラジル・ワールドカップ写真集
強豪国には強豪国の悲哀があることを知った今回のW杯。
世界はやはり美しかった。






















〜追憶編・アラスカ〜

男は海を眺めていた。

初めての光景に目を奪われていたのだ。

何匹ものアザラシがサーフィンのごとく波に乗っては、波打ち際の海鳥を喰らっていた。

ふと、一羽の姿が目に入った。

「ああ、間違いなく食われるな」

男は思った。

その鳥は羽を痛めて上手く飛べずにいたのだ。

案の定、一匹のアザラシが海鳥へと向かっていった。

そしてアザラシは海鳥の前まで来ると、口からプッと魚を吐き出し、そのまま海へと去っていった。

 

アラスカで会った元漁師のおっさんの話。

真偽のほどは彼しか知らない。

そこに意味を持たせるかどうかも、人それぞれだ。

 

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