しもばの放浪日記

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なでしこ
ヨルダンエジプトイタリアスイスドイツ

革命後のエジプトからフェリーでイタリアへと渡り、スイスを通ってドイツへ入国。
女子ワールドカップは決勝トーナメントからスタジアムで観戦。
おかげで素晴らしい試合を目の当たりにすることができた。
張り詰めた空気の中で開催国ドイツに劇的な勝利。スウェーデン戦の快勝。
日本でも日増しに注目が高まっているようで何より。
明日は決勝。最高の瞬間になることを祈って。


分岐点
今更ながら女子W杯について。

本当に流れというものはあるのだと感じた。グループリーグの最終戦、決勝トーナメントを見据えた上で落とせない相手だったイングランドに敗れた。これで準々決勝は開催国ドイツとの対戦。非常に厳しいだろうと思った。負けてもドイツの試合が見られるならいいか、それくらいに思っていた。

ドイツ人の観客で埋め尽くされたスタジアム。序盤、人々の表情には明らかに余裕の色が浮かんでいた。楽勝ムードに包まれていた会場。だが、それが緊迫感へと切り替わる瞬間が確かにあった。次第に苛立ちとため息を募らせていく人々。そして延長の決勝ゴール。満員の会場は静まりかえった。

この瞬間、イングランド戦の敗退は大いなる歓喜への伏線となった。日本vsイングランドの翌日、グループリーグでは更なる波乱が起こっていたのだ。スウェーデンがアメリカを下して1位通過を決めた。おかげで日本はアメリカと決勝まで当たることはなくなった。そして準決勝でスウェーデンに快勝。ドイツを破った勢いを持続したまま、実に理想的な状態で決勝に駒を進めることとなった。



決勝については、色々なところで語り尽くされているであろうので特には語らない。
「素晴らしかった」
その一言に尽きると思う。

試合の外の部分で感動したのは、ドイツ人のサッカーに対する温かさだった。ひょっとしたらそれは、女子W杯だからこその光景だったのかもしれない。自国が敗れたとしても、大会そのものを見守っていこうという気持ちが見て取れた。決勝当日。実は朝からスタジアムのチケット売場に並んでいた。それまで何度もチケットを手に入れるチャンスはあった。だが、二の足を踏んでいたのだ。要はケチったのである。ドイツが敗退した今、決勝のチケットなど余るだろう。ひょっとしたらダフ屋が持っているチケットが暴落するかもしれないとタカをくくっていたのだ。

だが、実際は逆だった。チケットの値段は決勝が近付くにつれ軒並み上昇。当日も、
「キャンセル分のチケットが出るかもしれない」
そう期待して並んだのだが、完売のまま。しかも、同じようにチケットを求めやってくるドイツ人が何人もいたのには驚いた。自国が敗退した女子W杯などもはや興味ないだろう、そんなふうに考えていた自分の浅はかさを恥じる思いだった。幸いにも、最終的にはチケットを定価で譲ってくれる人が現れ、優勝の瞬間を目の当たりにすることができたのだが。

それまで全く姿を現さなかった日本のマスコミは突然増えた。もちろん、日本の現状においてそう簡単に動けないという事情もあったのかもしれない。だが、南アフリカのときもそうだったではないか。街頭で受けたインタビュー。カメルーン戦を間近に控えていたにもかかわらず、質問は治安についての一点のみ。そのくせデンマーク戦後は
「岡田監督どーですか!?」
毎度、彼らの豹変振りには呆れる。思うに、日本のメディアには自ら物事を発信していこうという姿勢が喪失している。今回も、決勝当日にようやくやって来て
「チケット手に入らないんですかぁ?何時から並んでらっしゃるんですかぁ?」
あんたら今更何しに来たんだ。人々が注目していなくとも、人々が注目していないからこそ伝えたいという意思はないのか。金の匂いがしはじめて初めて動く。メディア以外にも気になる部分はあった。例えば、ドイツ中にちらばるスポーツチェーン店。ドイツは国を挙げての女子W杯キャンペーン中。ドイツ、アメリカ、ブラジルはもちろん、ノルウェー、スウェーデンの女子代表のユニフォームが並ぶ。だが、カナダすら目にしたのに、日本のそれはどこに行っても見つからなかった。決勝前、日本を応援しようとユニフォームを探し求めたドイツ人はきっと何人もいたはずだ。開催国ですら売られていないユニフォーム。金になる、ならないではない。自分たちで価値ある空間を作り出していこう。そういう意識が日本人はあまりにも低いのではないだろうか。

そんな中、彼女らは自らの力で人々の注目を勝ち取った。この先、日本でぜひ女子W杯をという動きも熱を帯びていくに違いない。いざそうなったとき、ドイツが見せてくれたような温もりを、大会そのものに対する愛情を、日本は表現することができるだろうか。もう一つ。なでしこジャパンが優勝したのと同じ日に、スポーツサイトで小さく切り取られたニュースを見つけた。
『女子ソフトボール日本代表、カナダで行われた大会でアメリカを破り優勝』
芽吹いたものを温かく育てていくことを忘れてはいけないと思う。

ドイツの後、アラスカに飛ぼうとチケットまで購入していたのだが、寒さにおびえ直前で思いとどまってしまった。そしてなぜかイギリスに。この決断で自分の旅の展開も大きく変わってしまうかもしれない。現在、自転車を購入しスコットランドを北上中。雨が降り続きこちらも寒い。だが、おかげでラグビーW杯はテレビ観戦できている。朝早くに眠い目をこすりながらであるが。


5周年
旅に出てから五年が経った。今まで出会った人、すれ違った人、袖を触れ合った人、全ての人々がそれぞれにそれぞれの人生を歩んでいるという事実はなんだか不思議で、もちろんそれは旅をしようがしまいが同じではあるけれど、人はやはり、大なり小なり繋がり合っているのだと思える。ポジティブな意味だけではなく。例えば、全く無意識のうちに誰かを死に導いていることだって、あり得ないとは限らない。

半年前に出会った夫婦がマラリアで亡くなった。自分はせめて、儚い瞬間を永らえていることを受け止めていこうと思う。ご冥福をお祈りします。
あけおめ2012

目標としていた年内の新大陸入りは叶わず。だが、UK、アイルランドというクセのある国を自転車でじっくりと周れたのは貴重な体験だった。

クリスマス前にポーツマスからフェリーにてスペイン入り。年越しはバルセロナにて。人は大勢集まっていたが「何秒前!」というカウントダウン的なものは一切なく、広場の時計(秒針なし)を見つめて、みんなが騒いだら年越し!なんともグダグダ感あふれるものだった。ちなみにスペインでは年越しに合わせて葡萄を12粒食べるという習慣がある。年越しそばのようなものだろうが、12時に鳴る鐘の音に合わせて食べるのだと後に知った。てっきり新年の12秒前から一粒ずつ食べるものだと思い込み、「カウントダウンなかったらわかんないじゃん!」と、新年になった瞬間にまとめて食べた。

スペインではクリスマスも一風変わっていた。キリストが生まれたのは12月25日だが、子供がプレゼントをもらうのは1月6日。これは東方の三賢者が生誕後のキリストを訪ねた日であるとされる。この国ではプレゼントを持ってくるのはサンタさんではなく三賢者であるらしいのだ。前日の夜にはマドリードで子供向けの大きなパレードがあった。『三賢者がやってきた!』という設定で異形の者たちがポイポイと飴を投げ込んでゆく。東方からやってきただけに衣装もアジアンテイストを意識していたりとなかなか面白かった。

調べてみると、カトリックの影響が強い国では1月6日にプレゼントをあげる国が多いらしい。12月25日にサンタさんがプレゼントを持ってくるのはイギリス流で、日本のクリスマス文化は英国流を踏襲した米国流の影響なのだとか。要するに、
「これこそが正しい!」
というスタンダードなど存在し得ないということだ。

そんなわけで、あけましておめでとうございます。


UK&アイルランド自転車紀行〜イングランド〜
ドイツ→ルクセンブルク→ベルギー→オランダ→イギリス



というわけで、昨年8月より4ヶ月かけてUK&アイルランドを自転車で一周した。その模様をお伝えしたいと思う。

この旅の大部分を通して、一般的に言われている
「イギリスは天気が悪い」
という事実を思い知らされることとなった。なにせ出発したわずか3日後にニュースになるような大雨に見舞われ、全く進めず近くのホテルに逃げ込むという羽目に。なんとも波乱の幕開けである。

「イギリスは飯が不味い」
これも一般的に言われている言葉であるが、ロンドンで過ごしているうちはそれほど気にはならなかった。様々な人種が入り混じった大都市であるからだろう。だから、何かおかしいと感じ始めたのは都市圏を出たあたりであった。料理のバリュエーションが実に少ないのである。
"Fish&Chips"
"Fish&Chips"
海沿いの町ならいざ知らず、海から離れた町ですらフィッシュ&チップスがTraditional Foodとして扱われているのはいかがなものか。味も、まぁ、冷凍食品的なものが多い。なんというか、この国のファーストフードは意外と薄味なのである。塩やコショウ、ソースなどで自分の好みに味付けしろということらしい。店主から
「何かソースはいるか?」
と尋ねられ、
「何もいらない」
と答えると、そんな食べ方して何がうまいのやら…という顔をして去ってゆく。

以前に知り合ったイングランド人と食べ物の話になったとき、イギリスの食べ物には何がある?という質問に
「フィッシュ&チップス」
「ステーキ&エール・パイ」
次に出てきた言葉が
「ケバブ」
であった。それはお前の国の食べ物なのか?

確かに、この国の大都市には様々な国の食べ物が溢れている。中華にインド料理、週末のマーケットではアフリカ料理の屋台なども出る。かつて植民地であった国々から人が流れ込んできた影響だろう。一方で、それらかつての植民地であった国を訪れても、宗主国から伝わった食文化というものがいまいち見えてこない。西アフリカなどでは、お隣のフランスが支配していた国では、どこも美味しいフランスパンを食べることができる。だが、イギリス植民地だったガーナに入った途端、食パンに変わった。そしてファーストフード店が妙にたくさんある。だが、伝えたものよりも逆輸入したものの方があきらかに多いような気がする。

だいたい、魚ひとつを取っても様々な調理法があるわけで、それが「フィッシュ&チップス」一辺倒というのもおかしな話である。湖の集まる湖水地方でも、一般的な魚料理など全くと言っていいほど見かけなかった。パイにしたって、本来なら地域によってそれぞれの食材を盛り込んだ『オリジナル・パイ』があってしかるべきように思うのだが…(あるところにはあるのだろうけど)。『Scampi(エビ)&Chips』というのがあったのでグリルされたエビが食べられるのかと期待して注文したら、フィッシュ&チップスと同じようにエビをつぶして揚げたものであった。

こうして考えると、やはりこの国の人たちは食に対する関心が低いのではないと感じてしまう。スーパーの冷凍食品コーナーの広さには目を見張るものがある。テレビの料理番組では、『何秒でオムレツが作れるか』を競う恒例のコーナーがある。言うまでもなく、重要なのは「いかに速いか」ではない。そもそも、この国が起源とされる『サンドイッチ』にしたって、
“食べる暇があったら遊びたい”
という一心から生まれたわけであって…。一方で、いかに骨やら殻やらを取る手間なく食べることが出来るかという点においては、並々ならぬ情熱を注いでいるように思える。



そんなことを考えながら、運河沿いの道をひた走る。運河をエンジン付きのボートで旅している人が多いのには驚いた。キッチンも備えられていて、さながらキャンピングカーのように移動生活できるらしい。こんなにも運河が張り巡らされているとは、実際走ってみるまでは知らなかった。ある意味、かつて産業革命で沸いた国を象徴するものであるとも言える。博物館などへ行っても、“産業革命コーナー”の力の入れ方は見事なものだ。ヨーロッパの片田舎に過ぎなかった国の国力を飛躍的に発展させた、文字通り革命的な出来事だったのだろう。これだけ増えたフィッシュ&チップスの店も、産業革命時に運河から届いた魚を、運河を航行する船乗りにテイクアウトで売り出していたのがきっかけだったということだ。

ひょっとすると、産業革命とこの国の食文化には切っても切れない関係性があるのかもしれない。大量生産、大量消費の名に恥じない冷凍食品の充実振り。手間を省くことに情熱を傾けるその姿勢。
「海がないのにフィッシュ&チップス」
なのではない。
「海がなくとも変わらぬ味のフィッシュ&チップス」
このことこそがこの国の誇りであり、アイデンティティなのではないか。そう思うに至ったのであった。そういうことなら『Traditional Food』という言葉も頷ける。


日曜の昼にPUBで出される"Sunday Roast"。


教会の庭で行われていたティー・パーティー。
このように、豊かな食文化がないわけではない。
UK&アイルランド自転車紀行〜スコットランド〜
イングランド
↓2011.09.17
スコットランド


イギリスにハリケーンがやってきた。実に30年ぶりのことだという。本来ならばアメリカ大陸に向かうはずが、はるばると大西洋を越えてきたらしい。スコットランドの北の端をかすめたという。直撃はしなかったものの、イングランドでもものすごい強風に襲われた。ヨーロッパの西端に位置するこの国では、偏西風の影響でもともと雲の流れが恐ろしく速い。なんせイギリス最高峰が標高1344mのスコットランドのベン・ネビス山。高い山もほとんどないので海からの風が直接吹きつけるのだろう。北へ行けば行くほどその影響も顕著で、天気もコロコロと本当によく変わる。さっきまで晴れていたのがあっという間に雨である。

これだけ天候が悪く湿った土地柄では作物もほとんど育たないのだろうか。広がる景色はほとんどが牧草地ばかり。考えてみると、イギリスで盛んなスポーツはどれも芝で行われる。サッカー、ラグビー、クリケット。テニスもウィンブルドンは芝のコートだ。食べ物だけでなく、スポーツなんかもこういうところに理由の一端があるのかもしれない。

イングランドからスコットランドへ。町の数も減り、広大な自然が広がってゆく。そういえばゴルフはここスコットランドの発祥らしい。今でこそ「ゴルフ場」というと日本では自然破壊の象徴のように捉えられがちだが、そもそもは自然の中で行われる、自然を感じるためのスポーツだったのではないだろうか。事実、スイスのツェルマットでは、その昔ひとりのゴルファーが登山に訪れ、雄大な自然を賛美するべくゴルフボールを打ち込んだという逸話が残されている。

スコットランドではアウトドアも盛んらしい。それほど高くないとはいえイングランドと比べると山がちな地形、川や湖も数多く流れる。道中訪れた滝ではカヤッキングを楽しむ人々を見かけた。

そもそも最大の都市であるグラスゴーから自転車で2時間も行けば景色はすっかり田舎ムード。サイクリングに来た家族連れの子供がふと足を止め、道端のベリーをつまんだりしている。サイクルロードはそのまま牧場へ。牧場に入る際には柵があるが、入ってしまえば自転車道と牛の間に仕切りはない。まるで簡易サファリパークだ。脇を過ぎる親子を牛が退屈そうに眺めている。

“ハイランド”と呼ばれるスコットランド北部に踏み込むと、景色は更に自然味を帯び、荒れ野のような土地が増えてゆく。ところどころに点在する湿地や湖。北欧で見た景色とも重なる。確かに、ここもヨーロッパの「果て」に違いないのだ。地図で見ると、スコットランドの西側もまた、ノルウェーのフィヨルド沿いのような形状をしている。かつて同じように氷河で削られたのであろうか。風土や生態系も似通っているだろうし、北の端では“Viking Cake”なるお菓子も売られていた。その昔ヴァイキングも住み着いたとされるこの土地。文化的にも何らかの繋がりがあるのかもしれない。


ハイランドには、南北の山あいを行く“West Highland Way”と、東西の湖沿いを行く“Great Glen Way”と呼ばれる2種類のメジャーなトレッキングルートがある。トレッキングと言っても1日2日の距離ではなく、全行程は一週間以上にも及ぶ。降りしきる雨の中を耐え忍ぶように歩く旅行者たち。その“Great Glen Way”、ネッシーで有名なネス湖の近くの運河沿いに、そんな旅行者に向けた無料のキャンプ場があった。一泊のみ、徒歩か自転車での旅行者のみ宿泊可能であるとのこと。係員もいない無人のキャンプ場にこの国の懐の深さを感じた。

犬を連れて歩く一人のおじさんに出会った。
「今日人に会ったのは3人目だ」
と語るその人は、イングランド最南西端の“Land's End”と呼ばれる場所から4ヶ月をかけここまで歩いてきたという。自分と同じく、スコットランド最北東端の“John o'Groats”を目指すらしい。おじさんもすごいがその犬もすごい。曰く、
「僕は2本足だからいいけど彼は4本も足があるから大変だよ!」

強風にあおられながら“John o'Groats”にたどり着いたのは10月5日。夏場はここから更に北のオークニー諸島へと向かう船があるが、フェリー乗り場はすでにその役目を終えていた。この旅の目的地に定めていたのはフェリー乗り場に立つひとつの標識。ここからロンドンなどの距離を示すものだが、その看板も全て取り払われていた。ひっそりと静まり返る村に、この先に訪れるであろう長く厳しい冬を思う。突然降り出した雨を避けるためPUBに逃げ込み、スコッチウィスキーで冷えた体を温める。PUBを出て、テントを張るべく岬へと自転車を走らせる。雨上がりの空にはオレンジ色に染まる大きな虹が架かっていた。

 
これを目指していたはずが…。
UK&アイルランド自転車紀行〜北アイルランド〜
スコットランド
↓2011.10.14
北アイルランド

John o'Groatsでの滞在を終えた後、電車で一気にスコットランドの首都エディンバラへ。ここからは進路を西へ取り、アイルランドを目指す。

今回、スコットランドでラグビーW杯の「スコットランド×イングランド戦」を観戦する機会に恵まれた。ニュージーランドで開催されている大会のため朝8時半に始まったこの試合。早くから開店したPUBには多くの客が訪れ、ビールをあおっていた。イングランドに対するライバル心をむき出しにして応援する人々。罵声を浴びせかけるおっさんたち。勝たねば敗退が決まってしまうという試合であったが、終盤までかろうじてリードを守っていたものの最後の最後で逆転を喫してしまった。

試合前に皆が大声で歌っていたスコットランド国歌。タイトルにある「スコットランドの花」とは、国花とされているアザミであり、代表チームのエンブレムともなっている。かつてヴァイキングが国に責めいったとき、夜襲をかけようとした敵がアザミの棘を踏み声を上げたために侵略を阻止できたという逸話から生まれたものだ。なんでも、スコットランドの悲劇の女王メアリー・スチュワートの命日には「メアリーの涙」と呼ばれる紫色のアザミが花を開くという伝説もあるらしい。

「自転車で旅しているのか!スコットランドの天気はひどいだろう」
尋ねてきた老夫婦に
「イングランドよりはマシだった」
と答えると
「人もnicerでしょ?」
という返事が返ってきた。

確かにイングランドよりもスコットランドを走っているときの方が人の温かみにふれる機会は多かった。だが、スコットランドの人々のイングランドに対する感情をどう理解したらいいのであろう。東南アジアで出会ったスコットランド人のおっさんは、酔っ払いながらイングランドの悪態をつきまくっていた。皆が皆そうだとまでは言わないが、多くの人がイングランドに何がしかの否定的な感情を抱いているのは疑いようのない事実にも思える。嫌悪感、劣等感、ライバル心、言葉で言い表せるものなのかはわからない。出身を尋ねると、当然彼らは「スコットランド」と答える。だが、イングランドと共に"United Kingdom"という一つの国家を形成しているのは疑いようのない事実な訳で、そこにまた、日本人には捉えがたい複雑な関係性が垣間見える。古都エディンバラで訪れたスコットランド国立博物館。スコットランド王家のコーナーで涙を流していた女性がいた。イングランドとスコットランドとの微妙な関係を象徴する一コマのようにも感じてしまったが、そもそもその女性がスコットランド人かどうかすらわからない。

フェリーで船を渡り、北アイルランドの首都ベルファストへ。この国で目の当たりにした光景にますます自分は混乱させられることとなった。


 

北アイルランドがアイルランドから離れてイギリスに属している背景には、プロテスタントとカトリックの複雑な対立構造がある。アイルランドの民族、ケルト人はもともとカトリック教徒であった。だが、イギリスからプロテスタントの人々が数多く入植。とりわけ北アイルランドには政府を始めとしてプロテスタント系住民が多く、アイルランドが独立した際にも北アイルランドはプロテスタント国家であるイギリスに属することを選んだ。おおざっぱに言うとこんな感じになるのだろうか。その結果、プロテスタント系住民はカトリック系住民よりも社会的に優遇されていたこともあり対立が深刻化。イギリスから分離しアイルランドの統一を目指すIRAなどがテロ活動を行い、対抗してプロテスタント側からも武装組織が生まれるなど混乱を極めていった。

1998年の和平合意によって表層的には平穏を取り戻したとされるベルファストであるが、住民衝突を防ぐ目的で作られたカトリック居住区とプロテスタント居住区を仕切る「ピース・ライン」と呼ばれる壁は今もなお存在し続けている。カトリック居住区側を歩くとアイルランド国旗が翻り、ハンガーストライキで獄死したIRAボランティアの若者の絵など、おびただしい数の壁画が立ち並んでいる。中にはパレスチナ問題におけるイスラエルを糾弾する内容のものも。一方、プロテスタント側を歩くとIRAのテロによって死んだ人々の肖像が描かれ、ユニオンジャックが翻る。

1972年1月30日。北アイルランドの都市デリーで"Bloody Sunday"と呼ばれる事件が起こった。カトリック住民のデモ行進中にイギリス軍が発砲、27名が銃撃された。事件のあった場所にはやはり重苦しい色合いの壁画が並ぶ。かつての城壁に書かれた"RELEASE"の文字。ドイツで起こった宗教改革がこの国に影響を及ぼし、アメリカの公民権運動が波及し差別撤廃の機運が高まり……様々の事象が綿密に 絡み合い複雑な状況が紡ぎ上げられてゆく。表現はおかしいかもしれないが、自分もやはり歴史の中に生きているのだと実感させられる。

情けないことに、自分はここに書いてきたような出来事をこの国に来るまでほとんど知ることがなかった。もちろん、アイルランドが南北に分裂していることは認識していたし、それに関する話を耳にすることもあった。だが、その背景にどんな理由が潜んでいるのか全く理解していなかったし、考えようともしなかった。よくもまあ今まで知らずに生きてこれたものだと思う。イスラエル/パレスチナやレバノン、旧ユーゴスラビア諸国など宗教・民族的対立で紛争が起こった(今もなお起こっている)地域を旅してきたが、同じことがこの国にも根を張っていた。自分が子供の頃から耳馴染んでいた『イギリス』という国は、かくも不安定な土台の上に存在していたのだ。

デリーで飲みに行ったPUBは、ナショナリスト(独立派)御用達といった雰囲気をかもし出していた。チェ・ゲバラの絵が壁を彩り、パレスチナや、スペインのバスクやカタルーニャなど独立意識の高い国々の旗が所狭しと飾られている。そういえば、パレスチナの分離壁にもカタルーニャ国旗が描かれていた。後に訪れることになるスペインのバスク地方では、BARで会った女性が
「大きな声では言えないけど私はフラメンコが好きで、それを学んでいるの」
と小声で語っていた。民族主義の強いバスク地方では、スペインの伝統文化を受け入れること自体、ある種のタブーなのであろうか。セルビア代表の試合でフーリガンが燃やしたアルバニア国旗。サラエヴォの民家に生々しく残る銃痕。レバノンのベイルートで教会を警備する兵士が「ピース・マン!」と送ってきたVサイン。中国人ではなく日本人だとわかった途端に笑顔になったウイグル人。肌の色を超え一体となったW杯の南アフリカ戦。様々な光景が脳裏によみがえる。

翌日、デリーの町のプロテスタント地区を歩く。プロテスタント教会前の通りは"London street"の名で呼ばれていた。歩みを進めると、道路の敷石までもがユニオンジャックの青、赤、白に塗られている。その先に立つイギリス国旗を見て慄然とした。その旗は、左右に真っ二つに断ち切られていたのだ。まるで戦時下かのような景色に言葉を失う。もちろんそれは、片側の人間が片側の主張のために立てたに過ぎない。だが、暗く沈んだ空にたなびくその異様は、世界に存在しつづけるであろう問題を沈黙の内に語り続けているようにも感じられるのだった。

UK&アイルランド自転車紀行〜アイルランド1〜
北アイルランド
↓2011.10.27
アイルランド


北アイルランドからアイルランド共和国へ。イギリスから別の国へと移ったものの『ここからアイルランド』という類の標識は全く存在しなかった。ただ地域名が変わることだけを表す標識。距離表示が“マイル”から“km”へと変わり、通貨がポンドではなくユーロになった。不安定な政治問題への配慮だろうか。もっとも、国道クラスの大きな道ならば普通に表示はあったのかもしれないが。

国が変わったところで地続きなので景色も特に変わらず。だが、一つだけ大きな変化があった。町の入り口に差し掛かると、"Best of Luck"の文字と共に2色のチェックの旗がたなびく。アイルランドでもっとも盛んなスポーツはサッカーでもラグビーでもなく、“ゲーリック・フットボール”と呼ばれる独自の伝統球技。その地区大会が架橋に差し掛かっていたのだ。カカシがユニフォームを着ていたり、藁のロールを包んだビニールに文字が書かれていたり、素朴で温かな応援グッズが田舎道を彩る。

スポーツといえば、イングランドやスコットランドのスポーツ文化もやはり目を見張るものがあった。マンチェスターやリバプールなど強豪チームのある大都市はもちろん、どんな小さな町にも(所属カテゴリーはともかく)必ず地元のサッカーチームがあり、週末になると人々がスタジアムへと繰り出していく。イングランドではあまりお目にかからないスコットランドリーグの話題も、スコットランドでは新聞のスポーツ欄の主役を張る。幸運なことに、スコットランドに入ったまさにその日にスコットランドリーグの大一番、セルティック×レンジャースの『グラスゴー・ダービー』をPUBで観戦することができた。PUBにも住み分けがあるのだろう。入った店はユニフォームをまとったレンジャースサポーターでひしめいていた。えげつない言葉でセルティックをののしるおばちゃん。見事に逆転勝ちを納め店は熱狂の渦に包まれた。

余談だが、レンジャースはイングランドの影響でプロテスタント化した市民のファンが、セルティックはカトリック系の市民のファンが多いらしい。同じ背景を持つアイルランドでもやはり同様で、複雑な問題を抱える北アイルランドのカトリック地区ではセルティックが絶大な人気を誇っていた。ひょっとするとスコットランドにいたときよりもその名を目にすることが多かったかもしれない。ちなみに『セルティック』とは『ケルト人の』という意味であり、エンブレムに描かれている三つ葉のクローバーはアイルランドの聖人『聖パトリック』のシンボルでもある。

とある土曜日、スコットランドの北部、Dingwallという小さな町を通った。すると、町中の人がユニフォーム姿で同じ方向に歩いていくではないか。人々の後を付けるとやはりそこには小さなスタジアムが。鹿の頭を象ったエンブレム。入り口の門には鹿の頭部の像が飾られていた。Fan Shopに足を踏み入れると、寒い地域ということもあってか防寒具ばかりが並ぶ。ホットミルクティーを片手に会場へと入っていく親子連れ。どうにも気になってウロウロしていたらなんとスタジアムのすぐ脇にキャンプ場を発見。これはもうここに泊まれという啓示に違いない。急ぎテントを張りチケットを購入。スタジアムへと飛び込んだ。

後からわかったことだが、この日見たのはRoss Countyというスコットランド2部のチームであった。このチーム、なんと今季優勝して昇格を決めた。来季は1部リーグでセルティックやレンジャースと戦うのである。(※と思ったらレンジャースは財務破綻で4部に降格……。)



アイルランドのTuamというこれまた小さな町に日曜の朝にたどり着いた。先日目にした新聞によると、今日この町でゲーリック・フットボールの州大会決勝があるらしいのだ。町中がやはり2色の旗に染まっている。こうなればぜひこの町に泊まって観戦したい。見つけたホテルは予約で埋まっており満室。道行く人に尋ねると、PUBの二階に簡易宿があるらしい。電話を掛けても誰も出ない。教会のミサにでも行っているのだろうか。そういえばさっき通った道に大きな教会があった。時間を潰しがてら自分も参加しようと聖堂へ足を踏み入れると、神父さんの立つ演台の後ろにも2色の旗が飾られていた。

その後、無事にチェックインを済ませ(やはり「教会で見掛けたわよ」と言われた)町へと繰り出す。応援グッズを売る店を見つけた。竹ざおに布をくくりつけただけの手作りの旗を購入、それを片手に道を行く。どの店のショーウィンドウも試合へのはやる気持ちを抑えきれない様子である。こじんまりとしたPUBを覗くと、試合を前に人々が一杯やっていた。中へ入りギネスビールを注文する。店内はゲーリック・フットボール一色。ユニフォームが壁を彩り、かつての選手たちの写真が並ぶ。スピーカーからは応援歌が大音響で流れる。きっとファンが集う店なのだろう。ビールを持ってきた店主に金を払おうとすると「必要ない」と言う。Tuam Stars(チーム名)の応援旗を持ったアジア人が珍しいのか、客も話しかけてくる。アイルランド訛りがキツくて何を話しているのかほとんどわからないが、機嫌が良さそうなのだけはよくわかる。連帯感を含んだ暖かい雰囲気が店の中に漂う。

いい感じに酔っ払い、外へ出た。何気なく店の看板を見上げる。そこに書かれた文字を見てハッとした。その店の名前はユニフォームに書かれている名と同じであった。町の小さなPUBがチームの胸スポンサーだったのである。ものすごい地域密着っぷりではないか。

会場は老若男女が集まり、地域運動会のような雰囲気だった。皆和気あいあいと試合が始まるのを楽しみにしている。決勝の相手は隣町のライバルチームだ。ブラスバンドの演奏の後に選手が入場。試合が始まった。ゲーリック・フットボールはオーストラリアで盛んなオージー・フットボールにも似た競技で、ボールを手で扱って行われる。パスはボールを拳で弾くか足で蹴るのみ。ゴールはサッカーゴールの上にラグビーのポールが立ったような形状をしており、ボールがポールの間を通れば1点、キーパーが守るゴールに入れば3点といった内容らしい。なんとも緩いというか荒いというか、といった展開の試合であったが、一つ一つのプレイに会場は大盛り上がり。残念ながら我がTuam Starsは敗れ去り、隣町の人々はピッチへとなだれ込んでいった。


アイルランドの公用語は英語と共に、ゲール語と呼ばれるアイルランド語である。だが、ゲール語を話せる人の数は減少の一途を辿っているらしい。当然、そんなゲール語を残していかねばならないという動きもあり、ゲール語だけで放送されるテレビのチャンネルもあったりする。そのチャンネルではしょっちゅうゲーリック・フットボールや、ハーリング(似たようなルールだが小さなボールをスティックで打って行う)の試合が流れていた。

その後もゲーリック・フットボールやハーリングは旅に彩りを添え続けた。ある町では図書館のショーウィンドウに並んでいる本がハーリング一色だった。またある日曜日には同じ旗をたなびかせた車が次々と自転車を追い越していった。進んでいくと果たして、次に着いた町が地域大会決勝の会場だった。PUBに立ち寄ると、人々が昼食を取りながら談笑していた。家族や友人たちと食事をし、酒を飲み、そして地元チームを応援しに行く。なんと素晴らしい休日の過ごし方であろうか。
UK&アイルランド自転車紀行〜アイルランド2〜

アイルランドの人々は実に優しい。自転車を止めて地図を見ていると、通りかかった車が必ず止まって
"Lost?"(道に迷ったのか?)
と声を掛けてくれる。強風の日に走っていると、農夫のおじさんが
「天気が悪い日はテント張っちゃダメだぞ!」
叫んでいた。前回訪れたときには都会(ダブリン)のみの滞在だったせいもあってか、澱んだ空気を感じてしまったアイルランドであったが、今回の自転車旅行でだいぶ印象が変わった。

スポーツと並んで、この旅で印象に残ったのはやはり音楽文化である。イギリスでは、週末になると多くのPUBでLIVE MUSICをやっていて、ビール代だけでバンド演奏を楽しむことが出来る。スコットランドのネス湖近くで訪れたPUBでは、おっさんがギター片手に歌っていた。ギター以外の音は既成の音が流れているので初めのうちはカラオケみたいなものかなと思っていたが、演者のおっさんの歌声が実に渋い。客もおじいちゃんおばあちゃんが中心で、ときどきリクエストに答えたりする。しばらくすると頭の禿げ上がった別のおっさんが演奏に加わりツインギターに。このおっさんが超絶ギターテクニックの持ち主で度肝を抜かれた。

ひょっとすると、PUB文化が育った背景には天候も一役買っていたのではないだろうか。これだけいつも雨ばかりだと屋内で酒を飲むくらいしかすることがなかったとも考えられる。そう思えるほどこの国のPUBの数は他の国と比べても群を抜いている。スペインあたりも飲み屋の数は多いが、あちらは食事も楽しめるどちらかというと日本の居酒屋のような雰囲気。作物もあまり育たないこの国では食事よりも音楽の方が酒の大事なパートナーだったのかもしれない。もともと酒場に音楽は欠かせないものではあるが、ジメジメして鬱屈とした気持ちを和らげるためにもきっと音楽は重要な役割を担っていたのだろう。

PUBでLIVEが聴けるというのは実に素晴らしいシステムだと思う。この国では、趣味で音楽をやっている人間が表現することのできる場が無数にある。演奏する文化が育てば、それを聴く文化も育つ。当然、それを生業にしている人の数も日本とは比べ物にならないだろう。こうした土壌の上にこの国の音楽文化は成り立っている。言語だけの問題ではない。UKからすごいミュージシャンが登場する背景にはやはりちゃんとした理由があるのだ。

さて、アイルランドで音楽といえばやはりアイリッシュ・ミュージックである。これはイギリスのPUBで聴くLIVE MUSICとはまた一線を画している。ミュージシャン数人がギターやバイオリン、フルート、バンジョー、アコーディオンなどを演奏するのだが、面白いのは演奏者も客と同じ席に付くところである。まるで音楽好きの人々が思い思いに楽器を持ち寄り、隣の席で奏でているような雰囲気。演奏する側と聴く側に分かれた堅苦しさがなく、客もBGMが流れているかのように思い思いに談笑しながら音楽に耳を傾けている。

アイリッシュ・ミュージックの流れるような旋律はアメリカのカントリー・ミュージックにも近いものを感じる。もしかするとアイルランド移民によって伝わったものが異国の地で変化して…といったストーリーがあるのかもしれない。そういう繋がりを想像しながら旅をするのは楽しいものだ。

周りをイングランドやフランス、スペインなどに囲まれた小国。大国に翻弄され、ジャガイモ飢饉で多くの人々が国外に逃れていった小さな国。だが、そういう歴史を持つ故だろう。アイルランドの人々は今でも自分たちの伝統に誇りを持ち続けているように感じられる。面白いのは、それぞれの国の文化は、やはりそれぞれの国民性を反映している点である。イングランドでは、スポーツも音楽もどこか皮肉っぽくエッジが効いているし、スコットランドの伝統楽器であるバグパイプの音色は、哀愁を帯びながらも威厳を保とうとする響きがある。そして、アイルランドの伝統スポーツと伝統音楽。それはどちらも、人々と同様に素朴な温かさに満ち溢れたものだった。

そうしてアイルランドの人々は今日も飲む。酔ったおっさんはアイリッシュ訛りで話しかけてくる。飲んでいるのはもちろん、アイルランド伝統のギネスビールである。

UK&アイルランド自転車紀行〜ウェールズ、そしてイングランド〜
アイルランド
↓2011.11.18
ウェールズ
↓2011.12.01
イングランド




羊が列を作っていた。

ダブリンから船でウェールズ北部のHolyheadへと入港。
「ウェールズといえば羊」
この言葉は旅の随所で聞かされていたが、果たして走り始めた初日に先に述べたような景色に出くわした。羊飼いもいないのに一直線に同じ方向へ歩いてゆく。なんとも不思議な光景である。

この国での自転車旅は坂道との戦いだ。起伏に富んだ地形のためアップダウンの連続である。今まで走ってきたアイルランドが比較的平らだったせいもあって、ものすごく体にこたえる。なるほど、確かに牧草地は多い。見渡すと遠くの丘にも羊が点在している。恐らく、この国も周辺に負けず劣らず雨が多いのだろう。自分は運良く悪天候には出くわさなかったが、
「こんなに天気がいいのは奇跡的だ」
皆口々にそう言っていた。

面白いことに、イングランドでもスコットランドでもアイルランドでも、人々は天候の悪さには慣れたもので、
"It's English(Scottish/Irish) weather."
と皮肉っていた。当然この国では
"It's Welsh weather."
となるのだろう。ちょっと天気が良くなると
"Lovely weather."
とか言って嬉しそうにしているのも共通している。ともあれ、こうしてイギリスをグルっと旅してみると、ロンドン周辺は比較的天候がマシな地域にも感じられる。ウェールズの山々が西から流れ込む雲をある程度せき止めてくれるのかもしれない。

確かにスコットランドも山がちな地形ではあった。だが、広大な土地がどーんと広がるスコットランドに対して、ウェールズは狭いエリアに多くの山ががひしめいているイメージ。南部に位置しているためか鬱蒼とした林も多い。走りながらどこか懐かしさを覚えた。まるで日本を旅しているような既視感に襲われるのだ。実際はかなり違うのだろうが、こんなに木々に覆われた山を見るのは実に久しぶりな気がする。





ブリテン島の先住民であったケルト人がアングロ・サクソンに追われ西部の山岳地帯へと逃げ込んだ。それがウェールズという国家の基礎となったと言われる。だが、13世紀末には早くもイングランドに併合。イングランド王太子は『プリンス・オブ・ウェールズ』を名乗るなど、古くから事実上イングランドに含まれる存在として認識されてきた。現に、イギリス国旗であるユニオン・ジャックはイングランド国旗とスコットランド国旗、そしてアイルランドのシンボルとされた聖パトリック旗が融合したものであり、ウェールズの国旗はその中に含まれていない。そんな背景もあって、個人的には"United Kingdom"を構成する国の中では最も影の薄い存在に感じていた。だがやはり、ウェールズ人のウェールズ意識は非常に高いものがあったのである。

ウェールズで触れなければならない存在、まずは『赤い竜』であろう。ウェールズ国旗にも描かれているこの竜は、ケルトの伝承を起源としているらしい。このようなモチーフ入りの旗はヨーロッパの国旗には非常に珍しいように思う(ひょっとすると世界的に見ても稀有かもしれない)。このドラゴン、とにかくウェールズの至るところでお目にかかることができる。市庁舎や記念碑などはもちろんのこと、あるときはバスの側面に、あるときは砂糖の包み紙に、まさにウェールズのシンボル的存在なのだ。小さな村で子供が竜のぬいぐるみを抱えて歩いているのを見たときは恐れ入った。こうして民族意識が育っていくのであろうか。

ウェールズの首都、カーディフにたどり着いた。通ってきたのが山間の田舎町ばかりだったので、ものすごい大都会に来たように感じられる。それもそのはず、カーディフを初めとして、ウェールズの人口の3分の1は南部の海岸沿いに集中しているのである。このカーディフ、イギリスの中では比較的新しい都市らしい。産業革命の頃、ウェールズには多くの炭鉱が存在した。 そしてカーディフは石炭の積み出すための港町として重要な拠点となってゆく。産業革命によってこの町は発展した。そしてウェールズの石炭もまた、イギリスの産業を支えたのである。



カーディフの街のど真ん中に、一つの大きなスタジアムがある。『ミレニアム・スタジアム』。サッカーの国際試合も行なわれるが、この国では“ラグビー場”という表現の方が適当だろう。そう、ウェールズはラグビーが非常に盛んな土地柄であり、実際スタジアムの所有者もウェールズ・ラグビー協会であるらしい。先にニュージーランドで行われたラグビーW杯、準決勝の『ウェールズ×フランス』戦ではこのスタジアムに集まってスクリーン観戦する人々の姿が映し出されていた。スタジアムから川を挟んだ真っ正面に一軒のホステルがあった。レセプションの兄ちゃんはテレビで流れるラグビーの試合を熱心に目で追っている。
「ラグビーが国技の国はニュージーランドとフィジー、そしてここウェールズだけなんだ!」
誇らしそうに語っていた。

この町のサッカーチーム、カーディフ・シティの試合を見に行った。ウェールズにも独自のリーグは存在するが、レベルの問題か彼らの好きな“伝統”か、いくつかのチームはイングランドのリーグに籍を置いており、このカーディフ・シティは現在イングランドの2部に所属している。というわけで見に行ったのはイングランドのリーグ・カップ。相手はプレミアリーグ所属のチームとあって、期待以上に盛り上がった。面白かったのは、チームのユニフォームだけではなく、『ウェールズ代表』のユニフォームやマフラーを纏った人が数多くいたことであった(ウェールズ代表監督が自殺したというショッキングな事件の直後だったことも影響していたかもしれないが)。見事イングランドのチームに勝利を飾り、客席にはウェールズ国旗が舞い躍った。

こうして、ウェールズでの滞在を終えた。遂にイングランドへと帰還を果たした訳だが、初めの町、ブリストルでいきなり度肝を抜かれた。あんなに大都会だと思っていたカーディフよりも、ずっとずっと大きく、人がひしめき合っていたのである。イングランドの地方都市よりも小さな首都。なんとなく、ウェールズの人々が自らの国にアイデンティティーを抱く理由の一端を垣間見ることができたように思えた。

懐かしの運河沿いを走り一路ロンドンを目指す。出発したのは8月なのにもう12月である。だが、行きの運河で見かけたようなボートは未だ存在していた。夏の間のレジャーだと思っていたがそうではなかった。一体何の魚が捕れるのか、釣り竿を垂らすおっさん。脇ではバリバリのドレッド・ヘアのおばちゃんが薪を割っている。冬を越す気満々じゃねーか。なるほど、こういう生き方もあるのだ。

そうして帰ってきたロンドンはもはや理解の範疇を越えていた。多民族。多国籍。常軌を超えたメガシティ。同じ国の都市として語るのも憚られるほど、全く異質で特殊な存在に感じられるのであった。

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