しもばの放浪日記

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預言者ムハンマドの聖誕祭当日。ダマスカス旧市街のウマイヤド・モスクに訪れた大統領を一目見ようと人々が群れを成していた。沸き上がる歓声。隣にいた中年の男性が
"He is very great man !"
と、興奮した声で語る。シリア南部で暴動が起こったのはそれから一ヶ月後のことだった。

レバノンの首都ベイルート。道のあちこちに配備された装甲車が目に付く。エジプト情勢などの影響かはわからない。何の変哲もない日常の光景として街に溶け込んでいるようにも見える。中心部のダウンタウンには高級ブランド用品店が軒を連ねる。破壊と再生を繰り返してきたベイルート。かつて『中東のパリ』と称えられたこの都市は、さながら砂上の楼閣のごとく、不安定な基礎の上に横たわっているようにも感じられた。数年前に爆弾テロが起こったというトリポリでは、教会を警備する軍人が
「ピース、メーン」
とVサインを送ってきた。

パレスチナとイスラエルを隔てる分離壁のすぐ脇に位置するスタジアムでサッカー観戦をした。オリンピック予選の『パレスチナvsタイ』。惜しくもPK戦で敗退したものの、満員のスタジアムは自国の代表を応援する喜びに満ち溢れていた。日本での地震の報に接したのは翌朝のことだった。その足でエルサレムに戻るべく分離壁を越える。すでにパレスチナ人の長蛇の列が出来ていた。一人ずつしかゲートを通れないため時折小競り合いも起こる。待つこと一時間。ようやくゲートを抜けることができた。申し訳なさそうな表情を浮かべるイスラエル人の係員は徴兵中の若い女の子だった。

それから数日はヨルダンの首都アンマンで過ごした。
「日本は大丈夫なのか?」
「家族や友人は無事か?」
「何か出来ることがあったら言ってくれ」
道で出会った多くの人が声を掛けてくれた。日本料理屋で働くフィリピン人からは、フィリピンも日本への支援を表明している、という話を聞いた。
「日本はフィリピンで災害があったときに助けてくれた。今度はこちらが返す番だ」

チャンピオンズリーグをテレビ観戦した。選手たちが輪になり黙祷を捧げる。グラウンドに掲げられた横断幕には
「私たちは日本の皆さまと共にいます」
の文字が書かれていた。

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