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↓05.30
ナミビア
↓06.10
南アフリカ
バスから眺めたウィントフックの町明かりは衝撃だった。丘一面が光に彩られている。最近夜の長距離移動を控えていたせいもあるが、本当の都会にやってきたのだなと実感する。ガボンのリーブルビルやアンゴラのルアンダで
「なんて大都会だ!」
と驚いたのは一体なんだったのだろう。停電が当たり前だった今までの国では、街灯が常に光っていることなど考えられなかった。
「南アはオーストラリアやで!」
ガーナで会った女の子が言っていたが、ナミビアの首都ウィントフックに向かう時点で既にその兆候を感じ取ることができた。真っ平らなせいもあるだろう。車も東側通行になった。土の色も草木も似通っている。比較的新しいシンプルな町並み。似たような時代に似たようなスタイルで建てられたのかもしれない。首都にしてはその規模は大きくないが、自分が滞在していたのが片田舎の西オーストラリアだったというのもあって、ちょっとした既視感を覚える。
久々にツーリストだらけのゲストハウスに滞在した。BARもある。プールもある。
『白人=金持ち』 『黒人=貧乏人』
この概念はアフリカ人のアイデンティティーとも言える。ちなみに中国人(日本人も含む)も『白人』のカテゴリーに含まれるらしい。
「俺らは貧しいんだ!だから何か施せ」
常にアピールされ続けるとさすがにうんざりしてしまう。貧しいには違いないがそれはそれで生活は成り立っているようにも見えるし、経済的な面ではない別の意味での“豊かさ”は存在するのではないか、そんなふうに感じることもあった。だが、実際に『白人の世界』に舞い戻ってみると、あまりの環境の違いに愕然とさせられる。そして、どんなに綺麗ごとを並べたところで、自分はこっちの世界の住人に他ならないのだ。
他のツーリストと共にレンタカーを借りてナミブ砂漠へ。サハラ砂漠から下ってきた身としては、ラクダのいない砂漠というのはなんだか妙だ。だがその代わり、道中ではダチョウさんもいるわキリンさんもいるわシマウマさんもいるわ。こっちの意味でのアフリカ的な景色には今まで出会うことがなかった。初物はやはりテンションが上がる。
ワールドカップのアフリカ予選プレーオフ。この一戦で勝った方が出場権を得るという『エジプト×アルジェリア』の試合をモロッコでテレビ観戦した。モロッコ人は朝からその話で持ちきり。当事国でもないのにえらい盛り上がりようである。
「どっちを応援するの?」
と尋ねると
「いや、どっちもイスラムだからどっちでもいい」
ということだった。
同様のカーはドアフリカンネイションズカップの準決勝でも行われた。このときはマリに滞在していた。ケーブルテレビでフランスのスポーツチャンネルが流れていた。アルジェリアチームばかりがクローズアップされている。それだけフランスにはアルジェリア系移民が多いのだろう。
西アフリカはどこの国でも自国のユニフォームを着ている人がたくさんいる。だが、不思議とナイジェリアだけは見掛けることがなかった。マンU、チェルシー、アーセナル……イングランドプレミアリーグのユニフォームばかり。ナイジェリアは多民族国家。いわゆる愛国心というやつが希薄なのであろうか。
コンゴ民主(旧ザイール)、「チャイナ!」と呼ばれることは数知れず。否定すると、
「じゃあどこだ?コリアか?」
ジャパンよりもコリアの方が先に来る。そうだ、この国の『マゼンベ』というチームは昨年のアフリカチャンピオン。各大陸の王者が集まるクラブワールドカップという奴でアジアチャンピオンの韓国のチームと対戦したのだ。韓国の知名度が高いのはその影響か?
キンシャサでは、その『マゼンベ』のファンクラブ的なBARを行きつけにしていた。聞くと、まさに週末に、この町のスタジアムでアフリカン・チャンピオンズリーグの試合があると言う。
「お前もぜひ来い」
断る理由は何もない。当日はさながらカーニバルだった。長蛇の列に紛れてスタジアムへと向かう。チケットをまだ買っていないがどうするのだろう、思っていたら……正面突破じゃねえか!
「問題ないから入れ、入れ!」
全員席に納まった。うーむ、こんなことが普通にまかり通っているのか。
ワールドカップに向けサッカーをチェックしているおかげで見えてくるものもたくさんあった。もちろん、中にはただの思い込みやこじつけもあるだろう。それでも、どんなものでも世界の一端を理解するきっかけに成り得ると思える。
さすがにナミビアまで来ると、ワールドカップへ向かう旅行者も現れ始めた。目的地が近付くにつれ人の姿が増えていく様はなんだかフランスの巡礼路を思い出させる。これもまたある種の聖地巡礼とも言える。もしかしたら間に合わないのでは……不安を覚えることもあったが、ワールドカップ開幕前日に、ようやく南アフリカへの入国を果たすことができた。
ワールドカップに行く日本人にも、ナミビアのウィントフックで初めて会った。女の子の一人旅。チケットが取れたので仕事を辞めて来たのだと言う。予想はしていたが、日本では治安の話ばかりが報道されているらしい。
確かに危険もあるだろうが、他のアフリカの国々を巡ってきた自分からしたら高が知れている。などと思っていたが……近付くにつれ徐々に不安を覚えはじめた。ナミビアの第二の都市スワコムンドでは路上を人がほとんど歩いておらず、さながらゴーストタウンのようだった。こんな雰囲気は今まで味わったことがなかった。アフリカはどこも人で溢れていた。考えてみると当たり前なのだが、
「人込みよりも人気の少ないところの方がよっぽど危険が大きい」
旅で学んだ教訓の一つだ。更に考えられるのは、このあたりでは犯罪者もお金を持っているだろうということ。銃やらスキミングやら、テクノロジーを使われるとちょっと困る。
南アフリカの国境を越えてからそんなことばかり考えていたら、どんどん不安が増してしまった。思うに、自分のような小心者は一人旅などするべきではない。バスが遅れ、ブルームフォンテーンに着いたときにはすでに真っ暗。雨まで降っている。小さな地方都市のせいか町全体もひっそりとしている。しまった、こんなことなら各国のサポーターが跋扈しているであろうヨハネスブルクあたりから入るべきだった。ここブルームフォンテーンでは大会4日目の『日本×カメルーン戦』まで試合が行われない。つまり、しばらくは“金持ちジャパニーズ”しかこの町にやって来ないということだ。
「飛んで火にいる何とやら……」
そんな言葉が頭をよぎる。だが、ここまで来たからには腹をくくるしかない。同じアホなら踊らにゃ損々。その阿呆から金をくすねようなどという奴はそれ以下のカスなので仕方あるまい。
予約した宿へ向かうと、なんとそこは宿ではなかった。一軒家。オーナーに鍵を渡された。要は貸し部屋のようなところだったのだ。他の客もなし。セキュリティーもなし。おまけにオーナーもここではなく別の場所に住んでいるとのこと。
「え……ここで一人で寝泊りするの?」
「ここは町で一番のセーフティーエリアだから大丈夫、大丈夫」
オーナーはそう言って去って行ったが……人っ子ひとり歩いてねえぞ!腹が減っていたので近くのショッピングモールまで走っていった。みんな車でやってくるらしい。夜なので人はまばらにしかいない。不安なので周囲を警戒しながらウロウロしていると、一人の男に声を掛けられた。
「お前!ここで何をしている!」
警備員だった。そう、自分にとって有利な点は、金を持ってそうに見えない、そもそも日本人にすら見えないという点である。
闇は不安を増長させる。
「おっかないときは寝てしまうに限る」
これも旅で得た教訓の一つだ。目覚めてみれば爽やかな朝だった。遠くでブブゼラの音が聞こえる。遂にワールドカップ開幕の日がやってきたのだ!町を歩くと、誰もが南アのユニフォームに身を包んでいる。出場国の旗が路上にたなびく。行き過ぎる車には南アフリカ国旗、クラクションとブブゼラが折り重なるように鳴り響いている。お祭りムードになってきた。道行く人と挨拶を交わす。皆一様に嬉しそうだ。黒人のおっさんに道を尋ねる。浮かれ調子で教えてくれた。"Good Luck !"そう言って去ってゆく。人々の笑顔が自分の心を解きほぐしてゆくのを感じる。
試合が近付くにつれ興奮度が増していく。すれ違う人々とも挨拶ではなくハイタッチを交わすようになった。町のホールにスクリーンが設置されていたのでそこで開幕戦を観戦することに。人々の写真を撮っていたら早くもビールをおごられた。申し訳ない。ホームの雰囲気を肌で感じる。国歌斉唱。ホール内に響き渡る人々の声。盛り上がりがピークに達したのは南アフリカの先制時。これだけの人数でこの音量。スタジアムでは如何ほどのものだろう。追いつかれたときにはシーンとなったが……それでも10秒後にはブブゼラを吹き踊り出す。このへん、アフリカンらしくて素敵である。
結局"1-1"で終わった試合だったが、人々は割と満足そうな表情だ。
「"4-0""5-0"で負けると思ってたから引き分けで上出来」
などと言っている奴もいたが、やっぱり人々が歓喜に沸く姿を見たかった。
すっかり酔っ払い、南アフリカ人と踊りながら次の試合を待った。外国人の姿は見当たらない。どうやら自分ひとりのようだ。人々は皆とても優しい。思えば一人でこのホールに来たのに全く孤独を感じない。それってすごいことではないか?
「日本から来たのか!?Welcome! Welcome!」
治安が悪い?犯罪が多い?もちろんそれは気を付けなければならないだろう。だが、それ以上にずっと多くの人がこの国でワールドカップが開催されることを喜んでいるし、外から訪れた人々にも同様に楽しんで欲しいと願ってくれている。本当に忘れてはいけないのはそのことだろうと思う。
ここブルームフォンテーンは地方都市。日本で言ったら長野あたりだろうか。山あいに位置して標高も高い。南アフリカは冬なので毎日が寒さとの戦いである。開幕の日には雹まで降った。
「ここの天気はどうなってるんだ!?」
人に尋ねると、
「神様がワールドカップを祝ってるのよ!」
開幕戦は盛り上がったものの、その後のブルームフォンテーンは実に静かだ。人口がそれほど多くない上に、この町で最初に行われる試合は『日本×カメルーン』。わざわざこのカードを見るためにやって来る外国人がほとんどいないのは理解できる。ならば日本人が大挙押し寄せて盛り上げて欲しいところだが……試合前日になっても全然日本人に出会わない。たまに見掛けるのはマスコミ関係者ばかり。
町でようやく出会ったブラジル人と日本人二人で郊外にあるFan Festへと向かった。ここはFIFAにより設置されたオフィシャルのパブリック・ビューイング。巨大スクリーンで全ての試合が観戦できるのだ。寒さのせいか人もまばらだ。やはり他に外国人の姿は見当たらないが、地元の人が次々に話し掛けてくれるのでこれはこれで楽しい。ブルームフォンテーンのFan Festは黒人居住区内にある。良いアイデアだと思う。チケットが買えない人達も、家にテレビのない人達も、ここに来れば無料で観戦できるというわけだ。子供たちがサッカーに興じる姿を眺めながらビールを飲むのも悪くない。
コンゴ共和国では面白い出来事に出くわした。チャンピオンズリーグ準決勝、『バルセロナ×インテル』。人々は皆バルセロナが嫌いだ。理由はカメルーン人のストライカー、サミュエル・エトーを放出したから。
「バルセロナはエトーを裏切った」
これが彼らの見解である。人々と共にテレビ観戦したが、そのエトー率いる(彼らにとっては)インテルがバルサを下す絶好の機会とあって、異様な興奮に包まれていた。そしてインテルが勝ったその瞬間、町はお祭り騒ぎとなった。ちっぽけな町にもかかわらず、100人近くが道を練り歩きパレードが始まった。
「俺たちがバルセロナを倒した!」
ここはミラノでもなければカメルーンでもない。コンゴである。エトーは“カメルーンのヒーロー”というだけでなく“アフリカのヒーロー”なのだ。東アジアで言えばパク・チソンやイチローが“アジアのヒーロー”であるようなものだ。絶対に有り得ない。中国人のNBAプレーヤーなんて名前も知らない。それだけ彼らは『一つのアフリカ』という意識が強いのだ。そして、このとき強く感じた。カメルーン戦は完全アウェーに違いない。
アフリカを縦断した上で思うに、『アフリカ初のW杯』がここ南アフリカで行われるのには納得である。東アフリカは訪れていないが、現状ではブラックアフリカの国でW杯を開催できるだけの国力を持つのはこの国をおいて他にないだろう。エジプトやモロッコが選ばれていたら『イスラム初のW杯』にはなっても『アフリカ初のW杯』には足りなかったに違いない。そういう意味ではアフリカでのW杯に参加できるなど人生で最初で最後になるかもしれない。こうなりゃとことん楽しんでやろうではないか。
試合当日、ようやく日本人がやってきた!みんな今までどこにいたのだ。カメルーン人もやってきた。カメルーン人なのか他のアフリカ人がユニフォームを着ているだけのかは定かではないが。
試合内容に関していちいち語っても素人の見解になるだけなので割愛。想像していたとおり、観客席はカメルーンの応援が支配した(それ以上に空席も目立ったが)。終盤のカメルーンのパワープレーの際にはブブゼラの音がスタジアムに響き渡る。なにはともあれ、勝って良かった。初めて行ったワールドカップのスタジアムで日本のW杯アウェー初勝利という記念すべき瞬間に立ち会うことができた。Fan Festで会った地元のおじさんに
「どうせカメルーン応援するんでしょ?」
と言ったら
「いや、俺はフットボールを応援するんだ」
と言っていた。そのおじさんに会場でばったり再会。
「日本はいいチームじゃないか」
互いに遠くに感じていた存在がこうしたイベントをきっかけに近くに感じることができる。それは素敵なことだと思う。イタリアでサッカー雑誌の翻訳をしているという日本人とスタジアムで知り合った。その人の言葉が心に残る。
「どいつもこいつも地獄に行くみたいに言いやがって。来てみたらいいところじゃねーか!」
初戦というのもあってか、アフリカ人の表情もそれほど曇ってはいない。アフリカの“強豪”カメルーンに勝利したということで、日本の健闘をたたえてくれる。黒人の女の子が
「ニッポン!ニッポン!」
叫びながらすれ違っていった。
"ENJOY SUMMER ALL YEAR ROUND"
の文字。ここダーバンはマリンリゾートの町。インド洋から温かい風が吹くおかげで年間を通して温暖なのだそうだが……いやはや、バスで10時間、ここまで気候が違うものか。
ダーバンのFan Festはビーチにあった。人々が水着で闊歩している。サーフィンやビーチバレー、ビーチサッカーに興じる人達。ブルームフォンテーンとのあまりの雰囲気の違いに戸惑いつつも、ようやく
「W杯にやってきた」
という実感を覚える。ひるがえる国旗。試合の度に各国のサポーターが集まってくる。
クレイジーな奴らもたくさんいる。裸足で歩いていたヒッピー風のお姉ちゃんに日本語で話し掛けられた。長崎に3年間住んでいたという。物売りに付きまとわれ「せからしか!」と叫んでいた。東京のロシアパブで5年間働いていたというウクライナ人の女性。『ブラジル×コートジボワール』にはブラジルサポーターが大挙押し寄せた。マラドーナがブブゼラでコカインを吸っている合成写真を掲げていたのには笑った。
『日本×オランダ』
同宿にはオランダ人だけではなく、ブラジル人、カナダ人、イスラエル人、実に様々な国からのサッカー好きが集まってきた。どいつもこいつも、
「明日のオランダは楽しみだ」「明日のオランダは楽しみだ」
日本に対する一言もない。だが世界的に見ればそれが現実。ナミビアで一緒に旅行したスイス人にここダーバンで再会。そのことを愚痴ると、
「『スイス×スペイン』のときも同じ状況だったよ。誰もスイスがスペインに勝つなんて考えてもいなかった。日本だってきっとやれるはずだ」
オーストラリアがドイツに"0-4"と完敗したのにはショックだった。アジア予選では10試合で1失点しかしなかったオーストラリアがここまで歯が立たないとは……。改めてアジアと世界のトップクラスとの力量の差を感じる。一方で、ブラジル相手に"1-2"と善戦した北朝鮮には勇気をもらった。
昨年オランダで親善試合を観戦した際、日本とオランダの両方の名前が入ったマフラー(半分青、半分オレンジ)を購入。
「日本が負けてもオランダ応援できるじゃん」
そう思って買ったのだが……まさかこういう形で使うことになろうとは。そのときは"0-3"の完敗。あれから10ヶ月。その差は縮まったのか、それとも広がったのか。オランダ戦を楽しみに来ている同宿の連中に馬鹿にされるのも悔しいので、あまりにふがいない戦いはしないでもらいたい。個人的には引き分け、もしくは負けでも最小失点に抑えられれば上出来。最終戦のデンマーク戦に少しでも有利な条件で望みたいものだ。
試合当日。宿にいたオランダ人の女の子と共にビーチへ向かった。そこからスタジアムまでオランダ人がパレードを行うらしいのだ。敵と言えどもやはり気になる。たどり着くと、そこはオレンジ色に染まっていた。そう、この雰囲気を感じたくて自分はW杯を目指してきたのだ。“ナショナリズム”と言えば聞こえは悪いが、それぞれの国のサポーターが集まり、自国の勝利に向けて熱狂する姿は美しくもある。
自分自身、今回のW杯に際して日本戦を観戦しようか迷っていたところがあった。チケットも手配していなかったし、宿も移動も面倒そうだ。ケープタウンあたりに一ヶ月滞在して様々な人が訪れるW杯の雰囲気を楽しむのもいいかなとも思っていた。だが、どれだけ面白い試合を見られたとしても、やはり自分が心から応援できるのは日本という国以外には有り得ない。
オランダ人の表情にはほとんど緊張の色が見られない。すでにパーティー気分である。それもそのはず。デンマークを下した今、“弱小国”日本、そしてその日本にすら遅れをとったカメルーン戦を残すのみ。グループリーグ突破は決まったも同然、そう思っても無理はない。
「日本人はシャイだね。何か手伝えることがあるかと思って話しかけても返事してくれないんだ」
ブルームフォンテーンで通っていたショッピングモールの黒人警備員が語っていた。それは単にビビッていただけだと思うが……まあ日本人がシャイなのはそのとおりだろう。道を練り歩くオレンジ軍団に試合前から完全に圧倒されている。またしてもアウェーじゃねえか!
"We will make Sushi of Japanese"
『日本人を料理してやる』とでも訳すべきだろうか。そんな横断幕を掲げていた奴らがいたので、こちらもみかんを口にくわえて一緒に写真に納まった。
「オレンジを喰ってやるぞ!」
そういう気持ちだ。
日本健闘!負けはしたが惜しい試合だった。夜、バーへ飲みに行くとそこにもやはりオレンジたちが。"Sorry"と声を掛けられる。試合前は『"0-1"なら上出来』と思っていたが、実際そうなってみるとやはり悔しい。逆に"Sorry"と言える立場になりたかったが、日本相手に辛勝という結果は彼らにとっても少なからずショックだったようだ。
それにしても、改めて初戦に勝ったのは大きいと思う。おかげで3試合丸々楽しめることとなった。この夜、カメルーンがデンマークに敗れグループリーグ敗退が決定。もし日本がカメルーンに負けていたら同じ立場に立たされていたのだ。試合前も試合後も、今とは全く違ったテンションだったことだろう。クレイジーなオランダ人と飲み騒ぎながら、そのことを深く噛みしめるのだった。
ダーバンは去るには惜しい町だった。一度この気候を味わってしまうと、また寒地に戻るのが怖ろしくなる。この町が醸し出す雰囲気もまた格別である。リゾート的なところは本来あまり好きではないが、W杯のような祭りの時にはこういう場所の存在が実にありがたく思える。
ダーバンを去る夜にもこの町で試合があった。『ナイジェリア×韓国』、どちらにとっても決勝リーグ進出がかかる大一番。非常に面白そうなカードなのでぜひ見に行きたいと思ったが、あいにく夜行バスを予約してしまっていた。バスが発つのが23時。キックオフは20時半。試合が終わってバスターミナルに駆けつけるには少しばかり時間が足りない。試合後にサポーターが大盛り上がりする姿を見られないのももったいない。かといってバスを一日遅らせると日本戦には当日現地入りになってしまう。泣く泣く断念し、最大の大一番になるはずだった『南アフリカ×フランス』を観戦しにFan Festへ向かうことにした。
南アフリカの第2戦『南アフリカ×ウルグアイ』は、開幕戦と同じくブルームフォンテーン市内のホールで観戦した。会場は南アフリカ人で満たされた。試合前には早くも興奮がピークに達し、スクリーン前で人々が踊りまくる。
「この光景を見られただけでも南アでのW杯に参加した甲斐があった」
と、南アで再会した友人が語ったとおり、その熱狂はすさまじいものがあった。だが、あえなく敗戦。それでも翌日の『フランス×メキシコ』が引き分けに終わればまだ芽はあったが、フランスもふがいなく敗れ去り、南アの決勝トーナメント進出はほぼ絶望的になってしまった。第3戦でウルグアイがメキシコに勝ったとしても、得失点差の関係上、南アはフランスを"3-0""4-0"といった大差で破らねばならない。どうしても悲観的にならざるを得ない。
南アの人達はもうW杯に興味を失ってしまったのでは……そんな疑念を抱いていた。毎朝どこからともなく聞こえてきたブブゼラの音がダーバンではほとんど聞こえてこない。サッカーの話題になると人々の表情はどことなく寂しそうだ。
だが3戦目のその日、街は活気を取り戻していた。南アカラーのブブゼラを手に歩いていると、
"Blow Bubuzela!(ブブゼラを吹き鳴らせ!)"
と声が掛かる。うまく吹けずに苦戦し、笑われる。その光景を見てか、通りすがりの車からもブブゼラ攻撃だ。人々の顔は開幕戦同様に明るかった。彼らにとってのW杯は終わってなどいなかったのだ。
Fan Festへたどり着くと、ビーチはバファナ・バファナ(南アフリカチームの愛称)のユニフォームを着た人々で埋め尽くされていた。きっと皆、自国の最後の(になるであろう)雄姿を見届けにきたのだ。そういう意味では相手が強豪フランスというのはドラマとしては最高だったのかもしれない。三度目となる南アフリカ国歌。人々が合唱する姿に毎回感動させられる。キックオフ。序盤から南アの猛攻が始まった。1点目。2点目。会場全体が爆発する。それを後押しするかのようにウルグアイがメキシコをリードしているというアナウンスが。なんてことだ。あと2点取れば奇跡のグループリーグ突破を果たすことが出来る。人々の熱気に囲まれていると、それも不可能ではないと思えてしまう。
ハーフタイム中のFan Fest。人々は奇跡を信じていた。
筋書き通りにはいかなかった。後半フランスに1点を返され、南アフリカの夢は破れた。悲願の一勝を挙げたものの、W杯史上初、ホスト国のグループリーグ敗退が決定してしまった。第2戦を終えた時点で半分諦めかけていたのだろうか、人々の表情はそこまで悲しみに暮れたものではなかった。輪になって踊っている人々の姿も見える。きっとこの祭りの余韻を最後まで楽しみたいのだろう。そうだ、彼らはフランスを破り一勝一敗一分けでW杯を終えた。胸を張ったっていいはずだ。人々が狂喜する姿を最後まで見られなかったのは残念だったが、ただ一国を除いて全ての国がいずれは失望を味わうことになるのだ。
Fan Festを後にすると、スタジアムへ向かう人々と合流した。『ナイジェリア×韓国』、ブルームフォンテーンでのカメルーン戦とは異なり、この街には旅行者がたくさんいる。驚いたのは韓国のユニフォームや国旗をまとった西洋人の姿が多く見られたことだ。なんだかんだ言っても2002年の足跡は大きなインパクトだったのか、それとも世界的に有名な選手がいるせいか(ひょっとしたらマンUファンあたりも韓国を応援するのかもしれない)。だが、それ以上にきっと韓国のプレーには人を引き付ける何かがあるのだろう。なんだか嫉妬を覚えてしまう。
『日本×デンマーク』の会場となるルステンブルク。郊外の自然公園にキャンプ場があるというのでテント泊することにした。寒いが安いので文句は言えない。そこでもやはりW杯観戦。他の宿泊客のアメリカ人が『アメリカ×アルジェリア』が見たいと主張。ほんとは裏でやってる『イングランド×スロベニア』が見たいのに……。まあ夜には『ドイツ×ガーナ』があるのでいいや。ここは譲ると、夜は夜でオーストラリア人が現れ『オーストラリア×セルビア』を見たいと主張。そう、今回W杯に参加して驚いたのは、アメリカやオーストラリアからも多くのサポーターが観戦に訪れていることだった。もちろん色んな人間がいるのでサッカー好きがいるのも当たり前なのではあるが、その数は想像以上に多かった。ダーバンのビーチでも星条旗が翻った。ダーバンのクリケット場はオーストラリアのサポーターズキャンプになっているとのことだった。
初めは不満を抱きながら見ていた『アメリカ×アルジェリア』だが、引き分けでも敗退となるアメリカがロスタイムの決勝ゴールで一転グループリーグ首位突破を決めるという劇的な展開。次の『オーストラリア×セルビア』も、セルビアが同点に追いつけば裏で試合をしているガーナが敗退してしまう。最後までハラハラさせられた。改めて無駄な試合など一つもないのだと実感。ガーナ、アフリカ勢で唯一残って良かった。オーストラリアは南アフリカと同じく得失点差に泣いた。
明日の『日本×デンマーク』、引き分けでも突破できるというアドバンテージはやはり大きい。裏のオランダとカメルーンが共に突破と敗退が決定しているので、その試合を気にせずにすむというのもありがたい。一極集中!実に恵まれた状況ではないか。
個人的には南アでのW杯に疑問を抱くことなど今まではほとんどなかったが、ここルステンブルクはその脆さを露呈していた。町からスタジアムまでがあまりに遠い。20km近くあるという。今大会最もアクセスの悪いスタジアムだそうだ。更にはルステンブルクの総ベッド数は15000ほどしかなく、スタジアムの収容人数を大きく下回る。そのため客のほとんどはヨハネスブルクあたりから車でやってくる。町にあるFan Festは試合当日というのにガラガラ。道にも全く外国人の姿がない。
スタジアムへ行くには車で30分ほどかけて郊外の駐車場へ。そこから更にシャトルバスで30分、スタジアムへと運ばれる。自分の場合は宿から送迎が出たが、この車ありきのシステムは本当にどうにかして欲しい。もちろん、自分は今のこの町の姿しか知らない。W杯が開催されることで整備されたり活性化された部分もあるのだろう。だが、この町での初戦となった『イングランド×アメリカ』では渋滞、更にシャトルバスにも長蛇の列が出来、ハーフタイムまでスタジアムに入れない人もいたそうだ。
余裕を持って出たおかげで、キックオフの一時間半前にはスタジアムに到着。今までの試合と異なり、日本人以外にも日の丸を掲げる人が見られるのはなんとも嬉しい。デンマーク人は日本人同様、おとなしいというか謙虚な気質なようだ。いよいよ決戦。次第に気合は上がってくるが、拍子抜けするほどスタジアムはガラガラ。アクセスの悪さやカードの地味さもあるのだろうが、およそW杯とは思えない。
素晴らしい試合だった。
「日本はハートで戦う良いチームだ」
前日に同宿のイングランド人が語っていた。社交辞令程度に受け取っていたが、まさにその言葉どおりの戦いを見せてくれた。かつてはサッカーに対して、クールなスポーツという印象を抱いていた。だが、今大会の日本代表は実に熱く、そして泥臭く戦っているではないか。ひょっとしたらアジアが他の国々に誇れるのはその部分なのではないかと思う。“集中力”と“がむしゃらさ”。一見相反するように思える要素が噛み合うことで、相乗効果を生み出している。必死で戦うことによって集中し、集中することによって更なる力が産み出される。個の力では劣る相手に組織力で戦う。それはわかる。そこに気迫が加われば、相手が真に恐れるチームになれるのではないか。
周りに座る南アフリカ人も一丸となって日本を応援してくれた。突然、彼らの歌と踊りが始まる。「ニッポン!ニッポン!」日本人が合いの手を入れる。ブブゼラの音も吹き荒れる。日本のプレーが更に客席を熱くする。もっとも、お祭り好きな彼らのことだ。デンマークのサポーターが周りにいたらデンマークを応援していた、それだけのことかもしれない。だが、この日の日本代表は明らかに人々を魅了しているように思えた。
スタジアムの空席だけが本当に残念だった。もっともっと多くの人と共にこの試合を味わいたかった。自分は日本にいないので、日本にいる人が南アをイメージで捉えていたのと同様、人から聞いたイメージだけで語るにすぎない。それでもあえて言わせてもらう。一体誰だ?三戦全敗などと言っていたのは。確かに自分も当初は全く期待を抱けずにいた。今大会のような戦いを今まで見せられなかったのが空席を生んだ最大の要因ではあるだろう。だが、一体誰だ!?南アフリカがまるで戦場でもあるかのように煽っていたのは。大会を成功させるのはホスト国の力だけではない。参加国にもまた、それを盛り上げる義務があるように思う。開幕に当たって、ネルソン・マンデラは言った。
"You must enjoy the game"
試合が終わり、日本のサポーターは歓喜に沸いた。周りの南アフリカ人からも拍手が起こった。なんと気持ちの良い奴らだろう。先日南アの敗退が決まったばかりだというのに、彼らはまだまだW杯を楽しもうとしているではないか。
帰りのシャトルバスには長蛇の列が出来ていた。バスに乗るまでに一時間近くかかった。気分が良いのでなんということはなかったが、デンマーク人の心境はいかほどのものだろう。ようやく宿からの迎えの車にたどり着くと、デンマーク人の夫婦も乗っていた。なんとも気まずい。だが、向こうから「おめでとう」と声を掛けてくれた。まだ一人戻ってきていないらしい。探しに行こうと車外に出る運転手をその夫婦が呼び止める。
「寒いからマフラーしていって。デンマークサポーターになっちゃうけど」
悲嘆に暮れた後でも人への優しさを忘れない、彼らの姿もまた印象的な夜だった。
「今大会のベストゲームだ」
「あの2本のフリーキック、何なのあれ!?」
大会が始まる前は
「日本?W杯に出てるの?」
そんな扱いだっただけに、気分が良いことこの上ない。裏でやっていた『オランダ×カメルーン』がほぼ消化試合だったのも幸いだった。そうでなければどれだけの人が『日本×デンマーク』にチャンネルを合わせたことか。デンマーク戦直前のスタジアムにて
「ここまで来たら買うしかねーだろ!」
と、日本のユニフォームを購入。以前は
「なんだこのヘッポコユニフォームは!」
大っ嫌いだったのだが、チームが勝ち進むと不思議と誇りを覚えるものだ。
「俺は日本人だぞ!」
アピールするには格好のアイテムである。欧州でもアフリカでも、アジア人だというだけで小馬鹿にするような態度を取られることもあった。だが、今だけは違う。それを着て町を歩いていると色んな人から声を掛けられる。
「ホンダは素晴らしい選手だ。どこのクラブでプレーしているんだ?」
何人の人に聞かれたことか。
ラウンド16に合わせプレトリアへと移動。なるほど、ヨハネスブルクの衛星都市(というかこちらが首都)だけあって、今まで訪れた町とは微妙に空気が異なる。危険な匂いを感じさせる人間が多い気がするのはただの思い込みだろうか。まあ、夜に一人で出歩かないなど普通に気を付けてさえいれば特に問題はないのだろうが。
プレトリアはアルゼンチン人が跋扈していた。それもそのはず。泊まっていた宿のすぐ裏手がアルゼンチンチームの合宿所になっていたのだ。すぐそこにマラドーナやメッシがいるのかと思うと何だかすごい。おかげで、『ドイツ×イングランド』という好カードを観にバーへ行ってもほとんど人気がなかった。皆その夜の『アルゼンチン×メキシコ』を見るためにヨハネスブルクへ出張しているのである。
『ドイツ×イングランド』戦術的なことは良くわからないが、イングランドにはガッカリさせられた。なるほど、ルステンブルクでのイングランド人の言葉は的を得ていたように思う。若きドイツとのモチベーションの差は明確だった。2点目の幻のゴールなど関係ないと思えるくらい、終盤のイングランドには勝とうという気合が感じられなかった。
それにしても、今回の日本はつくづく幸運が重なったと思う。大会前の親善試合、イングランド相手に善戦したことで日本代表のムードは変わったという。そのときにはイングランドの不調はまだ浮彫りにはなっていなかった。初戦のカメルーン戦も同様だろうか。グループリーグ突破も、オランダがデンマークを"2-0"で下してくれたおかげとも言える。勝利以外には後がないデンマークが前掛かりになったからこそ、あれだけの快勝が生まれたのかもしれない。システムを一新したのが大会直前だったことも結果的には功を奏したのかもしれない。ずっと同じ戦い方をしていたらとっくに研究されていてもおかしくなかった。ロッベンが3戦目まで出られなかったのもラッキーだった。数え上げればキリがない。更にはイタリアがグループリーグでコケるという幸運。ラウンド16の対戦相手はパラグアイに決まった。日本はこの好機を生かすことが出来るのか?
ドイツでのW杯には参加していないのでどれほどの違いがあるかはわからないが、驚くほどに町で日本人に出会わない。ブルームフォンテーンでのカメルーン戦前日、市内観光バスの運転手は
「なんで全然日本人が来ないんだ!?」
と頭を抱えていた。
「大丈夫。明日になればたくさん来るから」
と答えたとおり、試合当日のスタジアムには多くの日本サポーターがいた。だが、翌日にはまた忽然と姿を消していた。もちろんいるところにはいるのだろうが、不思議なものだ。
しかし、それもまた楽しいのである。もちろん出会う日本人もいるにはいる。そういう連中は行動パターンが似ているので何度も再会することとなる。どんどん顔見知りが増えてゆく。日本人に限ったことではない。ブルームフォンテーンで会ったブラジル人にもここプレトリアで再会。更には西アフリカを旅行中、マリで出会ったニュージーランド人にもばったり再会。これにはさすがに驚いた。
パラグアイ戦当日、スタジアム近くにあるバーが集まる広場(巨大スクリーンが設置されている)へ。考えることは皆同じ、スタジアムへ行く前に一杯やろうと多くの地元民で賑わっていた。だが、またしても日本人の姿は見当たらない。しばらくすると、パラグアイサポーターが現れた。広場中心に陣取り歌い始めたので、中へ飛び込み、ブブゼラをサムライソード代わりに叩っ斬ってやった。拍手喝采。周りが日本人だらけという状況ではこういう調子こいたこともなかなか出来ない。
スタジアムでも、これまでの三戦と比べ日本人の数はガクッと減った。それはそうだろうと思う。一体どれだけの人が今回の日本代表のグループリーグ突破を予想・期待していただろうか。多くの日本人がすでに帰国の途を辿ったのだろう。数週間の休みしか取れないならばグループリーグに合わせて訪れる。同じ立場なら自分だってそうする。
だが一方で、会場は日本を応援するムードに満ちていた。日本にまつわるコスプレの数々。多くの地元民、外国人が顔に日の丸をペイントしてくれている。こんなとき、子供でも簡単に描くことが出来る『日の丸』という国旗はとても便利だ。中には、勘違いして中国式の服や帽子を纏った人も。すでに敗退が決定してしまった南アの人々の立場から察するに、より位が低い側を応援しようという気持ちもあるには違いない。ともあれ、日本のグループリーグ突破という事実は、予想以上の反響をもって受け入れられたようだ。
今回初めて、日本サポーター席のすぐ側で試合を観戦した。だが残念ながら、一部の日本人サポーターの姿は自分には受け入れ難いものだった。どんな試合にも日本を応援するため駆け付ける。それは評価すべきだと思うし、自分たちの応援を周りの人たちに広げたいという気持ちもわかる。だが、現地の人々が自分たちの調子で「ニーッポン!ニーッポン!」と叫ぶ姿を妙に醒めた視線で見ていたのには強い違和感を覚えた。デンマーク戦でのスタジアムで体感した異なる文化の融合。それがこの席では感じられなかった。自分のスタイルは人に押し付けるくせに他の文化は認めない。それでは宗教と同じではないか。素晴らしい試合であれば自然と熱狂は生まれる。ならば応援を“仕切る”人間など必要なのだろうか。それもまた日本の文化とも言えるのかもしれないが。
渋い敗戦だった。PKともかくよりも、結局は最後まで『決定力不足』という課題が付いて回ったということだろう。自分としてはスペイン相手に華々しく散るところが見たかった。残念だが、結果は結果だ。しかし、終わってみて初めて『4年』という年月の重みを感じる。この興奮にまた出会うには少なくとも4年を経なければならない、そう思うと途方もなく長い。だが、今回この場に居合わせることができた喜び。それも改めて噛み締めるべきだろう。W杯に向かうと決めたときには、これだけのドラマに出会えるなど想像だにしていなかった。フランス人よりもイタリア人よりも(そして恐らくイングランド人よりも)、日本人は今回のW杯を楽しむことが出来た。そのことは紛れもない事実だろうと思う。いつの日か、
「日本戦!?ビッグゲームじゃねーか!見に行こうぜ!!」
そんな外国人の姿が増えてくれれば言うことはない。
ヤケ酒がてら、その日の夜も同じ広場へ。日本代表に向けた言葉か日本サポーターに向けた言葉かはわからないが、
「負けて涙を流すなんて素晴らしい。欧州や南米の国はそこまで悔しがることなどできない」
と言われた。そんなこともないだろうとは思うが、まあ確かに、『負けを噛み締める』というのはアジア的な行動文化であるかもしれない。自分の日本代表に対する想いは涙を見せるほどには至っていなかったのもまた事実。日々精進を重ねていかねばなるまい。
その夜の広場にも日本人の姿はなかった。だが、
「一緒に写真を撮ってくれ」
地元の女の子に次々とねだられるのでなかなかおいしい。こういう機会を増やしてもらうためにも、日本代表には今後とも頑張って頂きたいと切に願う次第である。
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