しもばの放浪日記

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Bonne Annee 2010
スペイン
↓11.15
モロッコ
↓12.26
モーリタニア




モロッコに渡るためにフェリー乗り場を訪れた。その時点でテンションは高まった。ターミナルの外に何人かが待ち構え、客引きを行っていたのだ。
「チケット売り場はこっちだ」
「ここでチケットを買え!中のチケット売り場は閉まってるぞ」
もちろん、外で買うと割高なのはわかりきっている。シカトしてターミナル内のオフィスで購入。要約するとつまりはこういうことだ。
『ようこそモロッコへ!』
いやはや、なんともワクワクするではないか。ヨーロッパの終わりを実感するにふさわしい儀式であった。

ジブラルタル海峡を越えるのに所要わずか2時間。港町タンジェにたどり着いた。それだけで景色はイスラム色に染まった。人も、食べ物も、着ている服も、流れる音楽ですらそうだ。今までいくつもの国境を越えてきたが、この変わりようには驚いてしまった。以前に訪れたチュニジアは随分と欧州色が強かった。それ以上にヨーロッパに近く旅行者も多いであろうモロッコは言わずもがなと思っていたのだ。確かに、チュニジアの時はイスラム世界から欧州へと向かう最中だった。今回はヨーロッパからイスラム圏へ。それだけで印象はだいぶ違うだろう。または、フェリーが到着するのがモロッコ最大の都市カサブランカだったら同じような感想を抱いたのかもしれない。しかし、地方のちっぽけな港町とはいえ、これだけの距離でありながらこんなにも独自の色を保っていられるものだろうか。ジェラバを纏ったおっさんたちが、ミントティーを飲みながらなにやらゲームに興じている。ねっとりとしたアザーンの声が町の雑踏に響き渡る。

アフリカ大陸に再上陸。同時に、ひさしぶりに旅に帰ってきたという感覚もある。どういう点でそれを感じるのかは自分でもよくわからない。きっと人との繋がりに起因しているに違いない。とも思ったが、思い返してみるとヨーロッパでも実に様々な出会いがあった。多くの人に自分の旅は支えられていた。すると単純に、ヨーロッパでは旅人がそれほど目立った存在ではないからであろうか。町中での自分の存在が希薄なのだ。他の旅行者も同様だ。それがここでは、共に異邦人として存在し続けることができる。それ故に人との距離は縮まる。道端や宿で声を掛けられる機会も増えた。そうこうするうちに色々な情報が手に入り、ルートが変わっていったりする。この漂っているような感覚が懐かしい。気付けば、モロッコでは常に他の旅人と行動を共にしていた。偶然が重なり合った結果ではあるが、やはりどこかで、同志というか道連れというか、そういったものを求めていたのかもしれない。



モロッコから西サハラを通り、モーリタニアへ。サハラ砂漠の西側にあたるこのルート、景色は想像通りひたすらに砂だった。モーリタニアの首都ヌアクショットへはフランス人旅行者の車に便乗した。旅行者も少ないだろうと思っていた西アフリカだが、その大半が旧フランスの植民地、言葉が通じるので実際はかなりの数のフランス人が旅行に訪れているようだ。モーリタニアビザを取得した際もフランス語の会話が飛び交っていた。

ヨーロッパからモロッコへ車で乗り入れてくる旅行者も多い。その際には西サハラからモーリタニアを下るルートはほぼ一本道となる。そのため、たどり着いたヌアクショットの宿も実に多くのフランス人でごった返していた。年配の旅行者もたくさんいた。どの人も皆、自分のキャンピングカーなどで旅をしている。日本だったら変人扱いされそうなものだが、やはりヨーロッパのように地続きで隣国に行けるような環境だと、旅行のスタイルも自然と異なってくるのかもしれない。

というわけでモーリタニアというマイナーな国にも関わらず、予想外にも大盛り上がりで新年を迎えることとなった。滞在していた宿で盛大なNew Year Partyが行われたのだ。ヌアクショットは海沿いの町。新鮮なエビが料理された。人々が持ち運んできたフランスワインが並ぶ。新年を迎えた瞬間、おばちゃんたちがトイレットペーパーを頭にくくりつけて現れた。なんだかわからないが面白い。皆で抱き合って新年を祝う。そこからはフランス人とモーリタニア人によるセッション。場を占めるのは大半がフランス人、そして数人のアフリカ人、日本人も自分と友人の2人いた。様々な民族が入り交じり、実に異質な空間となった。もちろん皆、はしゃぎまくりの踊りまくりである。2010年。あけましておめでたい。


Festival sur le Niger
モーリタニア
↓01.04
セネガル
↓01.27
マリ




西アフリカにおいて予想外に嬉しかったこと。それは、「米が食える」ということだった。料理の種類もいくつかある。トマト風味のソースがかかったもの。煮込んだ魚や野菜を炊き込みご飯の上に乗せた『ジェリジェフ』。ご飯に魚やタマネギが乗った『ヤッサ』も美味かった。タマネギは甘く煮込まれており、魚と一緒に食べると南蛮漬けのような味がする。肉じゃがみたいなものも見つけた。日本から遠く離れているはずなのに、随分と日本人好みの味付けで驚いた。主食が同じだと味覚も似通ってくるものなのだろうか。まさかアフリカでこんなにも美味い食べ物に恵まれるとは。まったくもって嬉しい誤算である。

酒を飲む文化も復活した。モロッコやモーリタニアでも確かにビールを購入することはできた。だが、あくまでも「こっそりと存在する」という感じであった。これがセネガルに入ると、町のところどころでビールの看板が掲げられている。バーも場末の雰囲気でなかなか面白い。静かに飲んでいたおっさんが突然立ち上がり、朦朧としながら踊りはじめたりする。音楽もアラブ風のものから自分がイメージしているアフリカンミュージックにだいぶ近付いた気がする。セネガル国民も大多数はイスラム教徒のはずなのだが、
「音楽を聴く」→「酒を飲む」→「踊る」
こういう文化が根付いているのが大きいのだろうか。植民地時代の中心地であったという時代背景からだろうか。カリブ海や南米と地理的に接点を持つ、ひょっとしたらその影響もあるのかもしれない。

これまで主流だったアラブ人風の顔つきは消え、完全にブラックアフリカの世界となった。セネガルから長時間のバス移動で隣国のマリへと入国。大都会(?)であったダカールの滞在を終え、人々も更に素朴になった。実際に足を踏み入れるまでは西アフリカという場所に少なからず不安を感じてもいた。だが、いざ訪れてみるとガキんちょも大人もとても人懐っこく、実に面白い。言葉がほとんど通じないのが残念である。旅行者も大半はフランス人。皆が楽しそうに過ごしているのに輪に入れないのはやはり悔しい。というわけで、ここに来てようやくフランス語の勉強に取りかかりはじめた。片言とはいえ意思の疎通が図れると当然ながらかなり楽しい。一つずつ単語を覚えることで、自分の表現の幅は確実に広がってゆく。
「こんなことなら前もって勉強しておけば良かった」
そう思うことばかりだが、こういう確かな手応えが得られなければなかなかやる気も起こらないのだ。



『Festival sur le Niger』というフェスティバルに参加してきた。
http://www.festivalsegou.org/new/en.html
マリ最大規模のミュージックフェスティバル。直訳すると『ニジェール川上のフェスティバル』、その名の通り、川の上にステージが設えられており、川岸が客席という作りになっていた。ゆったりとしたニジェール川の流れ。時折そこに手漕ぎボートが流れていく。実に贅沢なロケーションだ。

何より面白かったのは、このフェスティバルがローカルの人々に向けて作られていたことだ。タイで訪れたフルムーンパーティーなどは完全にツーリストに向けて(ツーリストの手によって?)作られたものだった。それとは全く雰囲気が異なる。マリのトップミュージシャンが次々と出演するというだけあって、会場の盛り上がりはものすごかった。同じミュージシャンを日本で見たとしても真の実力の半分も理解できないのではないか、とすら思う。それほどまでにステージと客席が一体となっていた。

ライブが行われるのは夜の間だけだが、昼間もイベントは目白押しだった。いたるところで民族音楽や仮面の踊りなどが披露されている。川岸のあたりに人だかりがしていた。行ってみると、20人くらいの民族舞踏の歌い手が、歌いながらボートに乗って流れてくるところだった。男たちが浅瀬に飛び込み踊りが始まる。それを見物する人々の群れ。当然ながらどれも皆マリ人、アフリカ人である。場に存在する何もかもが自分にとっては異質な景色だ。妙に感心しながら眺めてしまった。



「普段は目にすることが出来ない珍しいものが見たい」
それが『フェスティバル』というものの根本であるとするならば、あるいは自分も異質な存在として一役買うことができただろうか。物売りがやたらと寄ってきてうんざりすることもあるにはあった。ある意味そこがヨーロッパのフェスとの最大の違いであるとも言える。モーリタニアやセネガルなど、道中で知り合った旅行者とも再会を果たすことが出来た。そんなふうにして輪は広がり、繋がっていく。

なぜ西アフリカをこんなにも楽しいと感じるのか。目の前に広がる景色、触れるもの全て、その要素が自分が生まれ育ってきた世界にほとんど入り交じっていないからではないだろうか。人は誰もが好奇心を持っている、それは紛れもない事実だと思う。多民族が当たり前に存在する国は別として、どこの国を旅行していても実に物珍しげにジロジロと見られる、そのことが何よりそれを証明している。もちろんそこには異質なものに対する警戒心もあるだろう。だが、「理解できない」という感情から実は「理解したい」という感情は生まれるのではないか。異なる文化を面白いと感じ、お互いがお互いに興味を抱くことができれば、自然と互いをリスペクトする関係は生まれるはずだ。そういった点で、このようなフェスティバルの存在はすごく意味のあることなのかもしれない。
西アフリカな日々
ブルキナファソ
↓03.03
コートジボワール
↓03.11
ガーナ
↓03.20
トーゴ
↓03.23
ベナン




暑い!暑い!暑い!ブルキナファソでは猛烈な暑さに苦しめられた。内陸になればなるほど海からの風が届かず暑い、という話は聞いてはいたが、なるほど暑い。毎日が40度を超える酷暑だ。部屋には扇風機があるものの停電して止まったりする。乾燥しているので夜になれば涼しいだろうと思ったら、建物自体が熱を持つ構造なのかなんだか夜でも暑い。オーストラリアでは同じような炎天下で自転車を漕いだり農作業をしていたわけだが、今考えるとよくやっていたなぁと思う。こんなクソ暑い中で果たして労働などできるものだろうか!?そう思い、地図を頭の中で思い浮かべると赤道周辺にはほとんど発展している国がないことに気付く。例外はシンガポールくらいではなかろうか。もちろん、様々な諸事情をそれぞれの国が抱えてはいるのだろうが、ただただ単純に暑すぎて働けたもんじゃない、というのもあるのではないか?その上、働いても先進国と比べればずっと給料が少ない。なんだかとてもフェアじゃない気がする。

バスを待っている間、バス乗り場の隣にある屑鉄屋の作業を眺めていた。車の破片が見る見るうちにドラム缶へと変形していく。あるものをなんとかして何かに利用していく、そういう景色を見るのは非常に興味深い。バスに乗っていても、やっぱり何かと故障する。その場しのぎで直して進んでゆく。日本では車検だなんだと規則があるのできっとそういうことは不可能なのだろうが、壊れたら誰かに直してもらう、または新しいものに買い換える、それが当たり前の世界で生きているとその外の世界を見たときの衝撃は大きい。世界中の中古品が集まってくるような環境だが、それを突き詰めていくといつか更なる次元にたどり着くのではないか、そんなふうにすら思えてしまう。

子供が遊んでいる姿も面白い。人間には創造力がある。結局なんだって遊び道具にする力があるのだ。ビー球1つで一日中遊び続ける子供たち。ベコベコのボールでサッカーをする子供たち。ペットボトルや古びた自転車のタイヤ、そんなものでも転がすだけで玩具になりうる。日本ではこうはいかないと思う。子供には子供の共通の世界があり、話題がある。当たり前に皆がテレビゲームなどを買い与えられていると、それを持っていない子供は疎外感を感じることとなる。だが、皆が皆それを与えられていない環境であれば、それはそれで何の問題もないのかもしれない。

内陸のブルキナファソから南に下りコートジボワールへ。緑が一気に増えた印象だ。湿気もある。久々の雨も体験した。モロッコから目に見えて気候が変わっていくのが面白い。地中海性気候(?)から砂漠気候、ステップ気候、亜熱帯気候、そして熱帯雨林気候へ。社会化の授業のおぼろげな記憶が蘇る。ガーナでは久々の英語圏。フランス語から開放された。国境を越えた途端にガキんちょすら英語を操るので面食らった。オレンジを売っている子供に
"I hope to see you again !"
などと言われ、咄嗟の反応が出来ずに半笑いの笑顔だけ返していそいそと引き下がる。やはりフランス語が自在に操れたら他の国でもかなり深みが違うのだろうなと実感する。



「アフリカだから」
そんな言葉を耳にする。外から来た外国人が使うことももちろんあるが、それ以上にアフリカ人自身がその言葉を口にする。
「宿まで歩いて1分くらいだ」
客引きに言われついていくものの、10分歩いてもたどり着く気配がない。
「1分って言ってたじゃねえか!」
「いや、アフリカだから」
そんな調子だ。コートジボワール。声を掛けられ喋っていると何かと金をせびられる。
「なんで会ったばかりの奴にすぐ『金をくれ』とか言うんだよ?」
「だってアフリカだもん」
それでいいのか?いや、まあ、とやかく言うことではないのだけれど。

見るところの少ない西アフリカだが、思わぬところで思わぬ場面に遭遇する。路上の飲み屋でビールを飲んでいるとアイロンとミキサーを抱えた物売りがやってきた。
「誰が飲み屋でこんなもん買うんだ?」
そう思っていたら隣のテーブルで飲んでいたおっさんがあっさりアイロンを購入していた。まったく驚く。

コートジボワールでは、バスに乗っていると男が突然立ち上がり語り出す。
「取り出しましたこの薬、中国製の秘伝の薬で……」
などと語っているようだ。延々と演説を打つ。箱は明らかに劣化コピーだし中身の丸薬もただビニール袋にくるまれただけ。どこからどう見ても怪しげなのだが、
「在庫はここにあるこの数個だけ!」
そんなことを言うとこれがまた飛ぶように売れていく。単純というか素直というか。まったく驚く。

トーゴでは潰れたスーパーマーケットの駐車場でインド人がクリケットに興じていた。
「トーゴってインド人が草クリケットしてる国なんだ!」
そう思うとなんだか笑えたのでしばらくの間ずーっと眺めていた。オーストラリアでも何度かテレビでクリケットを目にすることがあったが、ルールが良くわからないうちはプロ同士の試合よりも素人がやるのを見る方が逆に奥深さを感じられたりする。それを知らねばプロの凄さも理解できまい。まあ結局よくわからなかったのではあるが。

ベナンでの体験。これもまた衝撃だった。ホテルの部屋へ帰ってくると同室の日本人の持っていたパソコンが盗まれていた。どうやら外で飯を食っていたわずかな間に何者かが部屋へ忍び込んだらしいのだ。宿の主人にそのことを伝えると苦悩した表情を見せる。
「今日は他の部屋には誰も泊まっていないのに……」
しばらくして、いかにも不審な従業員が一人いたのを思い出した。ひょっとしたらあいつが盗ったのではないか?そう思い、宿の主人に伝えにいくと、
「Yes!盗ったのは奴だ」
は?どういうこと!?
話を聞くと、宿の主人もそいつが怪しいと思い携帯に電話を掛けた。すると、「俺が盗った」と白状したのだと言う。盗っちまった以上しらばっくれろよ!「今から取り返しにいく」とかなんとかごちゃごちゃやっている。待つこと一時間、盗まれたパソコンは無事手元に帰ってきたのであった。まったく、わけのわからないことが色々と起こる。アフリカだから?それはよくわからないが……。

戦慄のナイジェリア(前編)


先入観は旅における重要な要素の一つだ。期待が募れば募るほど実物がそれに追いつかず拍子抜けすることは数多い。もちろんその逆も有り得る。いずれにせよ、理想と現実のギャップがその評価を大きく左右する。

西アフリカを旅している間、ずっと頭にこびりついていた懸念事項があった。ナイジェリア。やたらと悪い噂を耳にするこの国に行くべきか否か、ずっと迷い続けていた。欧米人旅行者に尋ねても、
「ナイジェリア行くの!?」
若干引き気味である。ガーナ人にすら
「俺に言えるのは『行くな』ということくらいだ」
と言われる始末。セネガルの日本大使館では
「腕時計を盗むためにナタで手首ごと切り落とすなんて話もあるから気をつけてね」
……はい、気をつけます。

一方で、軍事政権が倒れて以降は大分マシになっているという話も聞く。インターネットでも、『噂ほど危険な感じはなかった』などと書いてある。だが、西アフリカを旅行している人達は大概がその手前で旅を終えてしまう。実際に行ったことがある人に直接出会う機会がほとんどないのでなかなか実態が見えてこないのだ。

そんな折、ナイジェリア中部で一つの事件が起こった。イスラム系の武装集団がキリスト教系住民を虐殺したというのだ。それも、深夜に村を襲撃し、驚いて家から出てきた村人を手斧で殺していったという陰惨なもの。一体いつの時代の話だ……。

地方選挙の結果を受けての住民同士の対立が発端であるらしい。思えば、コートジボワールに行く前にも、
「今は選挙前だから止めた方がいいんじゃない?」
という忠告を受けた。コートジボワールでは、本来数年前に行われるはずだった選挙を現政府がずっと引き延ばし続け、今年行われるはずの期日もとうに過ぎているのだという。トーゴに入国する前も、大統領選挙の結果を不満とするデモが起こり、国境が一時閉鎖されたという情報があった。こちらは、40年間の長期政権を続けた大統領が倒れた後、その息子が大統領の地位に付き、今回の選挙でまたも再選されたのだそうだ。結果的にはどちらの国も無事に通過できたわけだが、しかし……このへんの国は選挙の度に毎回こんなことになっているのだろうか。

今回の事件が起こった場所は自分の通るルートからは遠く離れているものの、更なる恐怖を抱くには十分だった。飛行機を使おうか真剣に悩んだ。以前に訪れたエチオピアに飛びさえすれば一応旅のルートは繋がる。そこからアフリカ大陸の東側ルートを取った方が、このまま進むよりも遥かに楽なのも分かり切っている。だが、今まで陸路海路にこだわるが故に、チベットを抜けられないためネパールインドに行くのを諦め、海賊の出没する紅海を渡り、リビアVISA取得のために一ヶ月を費やした。その一つ一つが意味を失ってしまうようで悔しかった。おまけにナイジェリアの先にはカメルーンだのガボンだのアンゴラだのわけのわからない国がたくさんあるのだ。それらが全て未知のまま終わってしまうのはあまりにもったいないではないか。

悩んだ末、本来の予定通りガーナにてナイジェリアVISAを申請。取れたら行く。取れなかったら仕方ない、飛ぶ。選択をナイジェリア政府に一任することにした。元々旅行者に対してはビザの発給を好まないとされるナイジェリア。今回の件で更に取得が厳しくなっている可能性もある。取れなきゃいいのに、半分くらいそう思っていた。だが結果、実にあっさりと取れてしまったのであった。

戦慄のナイジェリア(後編)
ベナン
↓03.30
ナイジェリア


初めて賄賂の要求に遭ったのはコートジボワール入国の際だった。噂には聞いていたものの、経験のないことだったので想像していた以上に焦ってしまった。もちろん払いはしなかったが内心相当ドキドキしていた。そのくせ荷物チェックなどは一切なし。通過するコートジボワール北部には武装勢力もいるらしいのに……おまえらやってること間違ってるんじゃねえの?なんだか無性に腹が立った。だが、そんな賄賂請求も数をこなすうちに慣れてしまうものだ。ついつい当然のごとく考えてしまいがちであるが、選挙が公正に行われたり、不正が不正として問題とされること自体が、実はとても幸せなことなのだと思わざるを得ない。

ナイジェリア国境へ向かう頃にはもう随分と気持ちは落ち着いていた。行くと決めてしまった以上ジタバタしてもしょうがない。何か起きたらそれはまたそのときだ。

国境のイミグレーションの前にズラリと机が並んでいるのを見たときは笑ってしまった。どうやらこれを全てクリアしていく必要があるらしい。まずは一つ目のカウンター。イエローカードのチェック。アフリカ諸国を周るときには黄熱病の予防接種の証明書が必要となるのだ。
「黄熱病しか打ってないじゃないか」
は?それだけ打ってれば十分です。無視して次へ。

「どこから来た」
ここにいる以上ベナンから来たに決まっている。
「ベナンの前はどこだ」
「トーゴ」
「その前はどこだ」
「ガーナ」
「その前は?」
延々と尋ねてくるので延々と答えていった。根負けしたのか次のカウンターに通された。

ここでもまた質問攻め。
「職業は何だ」
ここは「学生」と答えておいた方が無難。住所やら渡航目的やら色々と聞いてくる。
「で、私に何をくれるのかね?」
言ってきたので
「お前の職業は何だ」
と逆に聞き返してやった。
「おじさん仕事してるでしょ。お金あるでしょ」
やれやれ、といった感じでようやくイミグレーションの窓口に向かう許可が下りた。やれやれじゃねえだろ。

パスポートスタンプを押される際にもおばちゃん職員が
"Give me money"
笑って"No"と答えたら笑いながらスタンプを押された。その先にも空席の机がいくつかあった。素通りしていいのかな?迷っていると向こうからおっさんが飛んできた。
「ドラッグなど持っていないか?」
あほらし。

こうしてようやくラゴス行きの乗合タクシーに乗車することができたのだった。国境からラゴスまではわずか二時間。その間も検問の数が半端なかった。棒の先にスパイクを取り付けたタイヤ止め(無視して通過しようとする車をパンクさせるため)やゴルフのドライバーを手にした警官が道の先々に立っている。もちろん兵士も立っている。車が近付くとドライバーを構えフロントガラスを叩き割るジェスチャーをして停めさせる。今まで訪れたどの国よりも殺伐とした雰囲気。同乗していたおっさんに
「検問多すぎじゃない?」
と言ったら
「セキュリティーのためだ」
いや、まあ、そりゃわかるのだけど。おっかない。



ラゴス。西アフリカ最大の都市ラゴス。旅行者の間では南アフリカのヨハネスブルグ、ケニアのナイロビと並びアフリカ三大危険都市の一つと評されるラゴス。もちろん、あくまでも『旅行で訪れるような都市の内では』というに過ぎない。もう旅行もできないくらいに危険極まりない場所はそれ以前の問題だ。

そんなおっかなびっくり訪れたラゴスであったが、人々は優しかった。タクシーを降りた後も、その同乗していたおっさんが中心部へ行くバスまで案内してくれた。泊まる予定だった宿が改装中で閉まっていた。途方に暮れていたら、周りの人達が親切に他の宿の場所を教えてくれた。『噂ほど危険な感じはなかった』というのは本当だな、と思った。確かに、街の中心へ踏み込んでいくと人や車がごった返し、ものすごい喧騒だ。あらゆる方向から視線が刺さるので緊張もする。もちろん胡散臭い奴もいるにはいる。だが、英語で会話が出来るのは非常にありがたかった。そのへんの屋台で飯を食っていたら、
「アラブ人はともかく東洋人がここで飯を食ってるのを見たのは初めてだ」
と、やけに喜ばれた。自分としても、日本のローカルな定食屋で黒人が美味そうに飯を食っていたらなんだか嬉しいような気がしないでもない。飲み屋で談笑もした。バイタク(バイクタクシー)に乗っていた時、前を走るバイクが携帯電話を落としていった。バイタクの運転手がそれを拾い、必死で追いかけ届けてあげた。いいシーンを見たなと思った。

当初びびりまくっていた反動もあって、実に楽しい滞在となったナイジェリア。実際に訪れてみて本当に良かったと今では思う。もし今回迂回ルートを取っていたなら、どんな場所なのかもわからないまま、一面的なイメージだけで怖れを抱き続けていたに違いない。もちろん、本当に一瞬通り過ぎただけのことだ。何を語れるということもない。もしここに「住む」ということになれば危険に遭う確率もグンと上がるだろうし、ダウンタウンにはやっぱりびびって踏み込めなかった。それでも、当たり前のことを当たり前のこととして改めて気付かせてくれたというのは大きい。外から眺めてあの国はどうだ、こうだというのは簡単だ。だが、そこにはそこで人々の生活がある。どこにだって良い人間もいれば悪い人間もいる。ただそれだけのことなのだ。

能書きが長かったが、つまりは
『案ずるより産むが易し』
ということだ。もちろんそれは結果論である。

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