しもばの放浪日記

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cinema paradiso
チュニジア
↓03.22
イタリア


なぜ日本にいるときにもっと勉強してこなかったのか。そう悔いることはたくさんある。

一番に挙げられるのはやはり語学だろうか。別に言葉が話せなくとも、フレーズをいくつか覚えさえすれば多少のコミュニケーションは取れる。しかし、そこから先に踏み込むにはやはり言葉が必要になる。例えばこれがアラビア語などなら、今までの人生でアラビア語との関わりなど全くの皆無であったのだ、さほど歯痒さは感じない。だが、チュニジアのように人々がフランス語しか返してこない世界に投げ込まれたとき、途方もない無力感にとらわれる。学生時代、三年間フランス語を勉強していたのは一体何だったのか。もちろん、さほどの習得率でないことくらいは成績からも明らかであるが、それにしたって微塵も残っていなさすぎる。あのときあの時間をもっと真剣に使っていれば。

歴史についての知識をもっと深めておけば良かった。過去からの流れが世界を形作っている。歴史、政治、宗教など、その背景を知っているかどうかで、自ずと見えるものは変わってくる。聖書くらい読んでおいても良かったかもしれない。教会やら美術館やら、ひたすらキリスト教がらみの絵や彫刻のオンパレード、そんなとき、ストーリーさえ理解できれば当然ながら面白みは増すはずだ。

もっと趣味を多彩にしておくべきだった。例えば、写真が趣味だったとする。その目は被写体を探そうとする意思が常に働くことだろう。そうすることで、ただ通り過ぎていた景色も違ったものに見えるかもしれない。絵を描いてみるのもいい。一つのものをじっくり見つめることで、見えていなかった細部に気付くことができるかもしれない。楽器を演奏できる人は羨ましい。言葉の通じない外国人とも、音楽ひとつで繋がることができる。

一体どれだけ多くのものがこぼれ落ちていったのだろう。

シチリア島。一つの映画が撮影された小さな村。その映画に描かれた小さな広場。目的地に向かうという行為に、ここまで気持ちが高ぶったのはいつ以来のことだっただろうか。

パラッツォ・アドリアーノ。映画『ニューシネマパラダイス』の舞台。ずっと憧れだったその場所に遂に訪れることが出来た。教会の鐘の音が広場の静けさに色を添える。想像していた沸き立つような感情とは少し違っていた。それは静かな感動だった。重要なのは、自分の心にどれだけの想いが刻み込まれているかということ。自分の心が、どれだけその想いを受け止めているかということ。





映画をたくさん見たら、旅ももっと楽しくなるだろう。ローマで休日も出来る。アラビアでロレンスにもなれる。旅のあとでその場所が映画に出てくるのもまた格別。学生時代、イタリア旅行から帰った後で『太陽がいっぱい』を観た。ローマの街中にパンテオンが建っていた。もちろん、ずっとずっと昔からあったわけだが、
「おおっ、この映画が撮られた頃からあったのか!」
そのリアリティ。フェリーが遅れてシチリア島に着いたのは夜中だった。宿を探して歩き回ったそのとき、突然目の前にマッシモ劇場が現れた。いきなりのゴッドファーザー的な展開に目がくらんだ。

エチオピアで、出会ったフランス人と山の上の教会に行った。山道を歩く途中でフランス人がつぶやいた。
「まるで『ナラヤマ』みたいだな」
「???」
何のことだかわからず首をひねってしまった。『楢山節考』なんて見たことがないのである。日本人なのに日本映画について知らなすぎるのも恥ずかしい。日本に帰ったら邦画ももっとたくさん見たい。

知識を貯えれば貯えるほど、世界は広がる。ほとんど誰も英語を話すことのなかったあの村に、イタリア語を学んでまた訪れたい。言葉が話せたら、きっともっともっと広がる。


だれる
イタリア
(ヴァチカン市国/サンマリノ共和国)
↓04.13
フランス
(モナコ公国)


ヨーロッパに入ってからというもの、どうもだれ気味である。

物価も高いし、サクサク進まなきゃと思いつつも、どうにもだれ気味である。

エジプトあたりからやっぱりだれていると思うのである。

イタリアに入ったらペースも変わるだろうと思っていた。だが、ローマで博物館巡りなどをしていたら、結局一週間も滞在してしまったのである。

パリ在住の友人の家に居候させてもらった。結局だらだらしてしまった。この先はサクサク進んで行かねば、そう思うと、どうしてもだらだらしてしまうのである。

パリというのは不思議なところだ。随分と日本贔屓らしい。ちょいと過大評価ではないかと思ってしまう。旅中に会ったフランス人にも、日本映画マニアがいた。エッフェル塔で『ポニョ展』をやっていた。食の都だけあって、日本食レストランや寿司屋も多い。ラーメン屋などもたくさんある。フランス人が行列を作っていたりする。弁当屋でフランス人が嬉しそうに弁当を食っている。持ち帰らずに店の中で食うというのもなんだか奇妙だ。シャンゼリゼ通りのHMVではマンガフェアをやっていた。オペラ座の近くにはなんとブックオフもある。毎日のように通ってしまった。マンガを立ち読みしていたら、日本語を勉強しているのだろう、フランス人がやって来て、
「コノタナハ、ショウネン(少年漫画)デスカ?ウーン、ショウネンデスネー!」
満足そうに去っていった。なんなんだこれは。

ルーブル美術館とオルセー美術館だけで一週間を費やした。

ここ最近、首都レベルの町にある国立博物館には必ず足を運ぶようにしている。文化というのは互いに影響を与え合っているであろうし、そもそも現在引かれている国境線など本当はあやふやなものに違いない。そういったものが垣間見えたら面白いと思ったのだ。

例えばスーダンの国立博物館。『○○王朝はアクスム王国によって滅ぼされた』なんて記述があって、
「おおっ、アクスムと言えばこないだ立ち寄ったエチオピアの町じゃないか!!」
なんだか感慨深かったりする。歴史も世界を構築している。スーダンの博物館あたりになると、エジプト的な展示物だらけ。エジプト南部のヌビア王朝に端を発しているらしく、スーダン的には
「スーダンから発生したエジプトの王朝である」
と言い張っていた。旅行者としては、いよいよエジプトが近いのだと実感させられる、そんな効果もある。リビアの美術館はユネスコが一役買っているらしく、なかなか大きくて立派だった。リビア各地の遺跡の展示があり、視点を変えると、必死で自国の観光名所をアピールしているようにも見える。最上階のカダフィ部屋だけはユネスコが絡んでいないようだった。リビア、チュニジア共々、中の展示はほとんどローマ遺跡に関するものばかり。これだけで、ローマ帝国がどれだけ広大だったが窺い知れるというものだ。

その点からすると、ルーブル美術館や大英博物館などは傾向が違う。どちらかと言えば、
『我が自慢のコレクションを見よ!』
といった感じだ。
『これだけのコレクションを集めてきた我が国の栄華を見よ!』
そういう意味で言うならば確かにナショナルミュージアムには違いない。コレクションが充実しているのでそれはそれですごいのではあるが、個人的にはそれぞれの国の特徴が出ていた方が面白い。

博物館に行くようになったのはせいぜいエチオピアあたりから。中央アジアなど、一体どのような繋がりや共通点があったのだろう。はじめのうちから通っていれば、世界が更にグラデーションのように繋がったに違いない。惜しいことをした。文化というのは、似ている部分にせよ異なる部分にせよ興味深いものだ。

ともあれ、そんな感じでだらだらしている。

旅を続けていられるのも、周りの人々が支えてくれているおかげである。そのことだけは肝に命じなければならない。

出会いがある。道で、宿で、移動の途中で。すべては数え切れぬ偶然が重なることで生まれる。出会いが出会いを生む。繋がりが繋がりを生む。驚くほどぴったりと収まる出会いもある。大なり小なり影響を受ける。人と出会い、繋がることで、今までになかった要素が自分の中に生まれる。

だが、そんな出会いと別れを繰り返すうち、人との別れに鈍感になっているような気もする。「偶然の出会い」それを大切にできているだろうか。どこかで「いつものこと」だと感じてはいないか。「いつもの偶然」になってはいないか。繰り返すうちに感情は鈍っていく。出会いを大切にするためには、別れも同じくらい大切にしなければならないだろう。もちろん、出会いと別れを繰り返すのは、旅に限ったことではない。

このままだれているのはよろしくない。もう少ししたら、自転車で北欧を走ろうと思う。


欧州つれづれ
フランス
↓05.03
ベルギー
↓05.06
オランダ
↓05.10
イギリス
↓06.13
アイルランド
↓06.19
イギリス




ヨーロッパなんてどこも同じで面白くないだろうと思っていたがそんなことなかった。フランスからベルギー、そしてオランダと移動するだけで街並みも異なる。ベルギーの家は正面が非常に狭く、ひしめき合うように並んでいる。部屋はさぞかし長細いのではなかろうか。

アムステルダムの町もきれいだった。橋がたくさんあって道に迷う。あまりの自転車の多さに驚く。それにしてもおかしなところだ。メルヘンちっくな子供服を売ってる店があったと思ったら、隣のコーヒーショップからはマリフアナのにおいがプンプン漂ってくる。半裸のお姉ちゃんが飾り窓に立つ、その向かいに流れる運河では白鳥が優雅に泳いでいた。へんな国。



ベルギーやオランダではポテトにケチャップではなくマヨネーズをつけるのが主流のようだ。マクドナルドでもセットで普通にマヨネーズが付いてくる。イギリスで同じように注文したところ、ケチャップはタダだがマヨネーズは有料とのこと。こんなふうに微妙な違いを見つける機会は意外とたくさんある。

イギリスには『大英帝国』という誇りをいまだ抱え込んでいるような部分があった。ロンドンの中心部にはいかめしい銅像やモニュメントがたくさんある。『戦勝国』といった空気がプンプンする。これがフランスなんかだとナポレオンがいたりするのでそこまで感じることはなかった。バッキンガム宮殿から真っすぐに伸びる道にはユニオンジャックが整然と並んでいる。他にも、色々な国の国旗が大量に並んでいる通りがあった。アフリカ系の国旗が多い。 EU関連ではなさそうである。共通点はなんだろうと考えてみると、なるほど、どの国も元イギリス領である。アメリカ国旗が見当たらないところからすると、ブリティッシュ・コモンウェルスの国々のようだ。いまだ「大英帝国ここにあり!」という感じである。

もっとも、自国の国旗が高々と掲げられているのはイギリスに限ったことではない。もちろん政府によるプロパガンダ的な意味が大きい国もある。しかし、オーストラリアで会ったドイツ人の女の子は嘆いていた。
「ドイツではすぐにRight Wingだとか言われて叩かれる。他のヨーロッパの国々は自分の国旗に誇りを持っていて羨ましい。ドイツでも前回のワールドカップで少しはましになったけれど……」
日本も似たようなものだろう。すぐに右とか左とかそういう話になるのには少し違和感を覚える。そう思ってしまうくらい、どこの国でも当たり前のように自国の国旗がたなびいている。




ロンドンには随分と長居してしまった。都会の喧噪に疲れてきたので一週間ほどアイルランドのダブリンに行ってみた。そこも都会には違いないのだが、ロンドンと比べるととてもこぢんまりして落ち着くところだった。一国の首都でもこうも違うものか。街はギネスビールの看板だらけ。おびただしい数のパブが立ち並ぶ。当然酔っぱらいも数多い。路上ライブで、おばちゃんがいきなり踊り出したりする。

アイルランドは自分にとってなんだかシュールな世界に映った。妙な人に出会う機会が多かったせいだとも言える。鳩に向かって叩き付けるようにパン屑を投げる人がいた。やけくそ気味にしか見えなかった。音楽を聴きながら写真を撮っていたら、すれ違ったおばちゃんが苛立たしげに声を掛けてきた。
「あなたにとってテクノロジーとは一体なんなのであるか!?」
そういう問い掛けのようだった。なにやらまくしたてていたのでよくわからないが、
「テクノロジーは人を堕落させるのではないか!?」
おそらくそんな意味合いであるに違いなかった。普段からこういう機会ばかりなのかはわからないが、そうだとしたら演劇みたいで面白い国だと思った。


Roskilde Festival 2009
イギリス
↓06.20
オランダ
↓­06.23
ドイツ
↓­06.27
デンマーク




デンマークの音楽フェス、Roskilde Festivalに参加してきた。
http://www.roskilde-festival.dk/uk/
コペンハーゲンから電車で約30分。Roskildeという小さな町で行われる北欧最大の音楽フェスである。

実に一週間にも渡るこのフェスティバル。というのも、本番は木曜日から日曜日までの4日間なのだが、一週前の日曜日からテントを貼れるのである。つまりは前夜祭期間が本番と同じだけあるわけで、当然ながらこれがまたかなり楽しい。日本でフェスに行くときだと、一週間きっちり働いて週末にいきなり本番を迎えるわけだから、どうしても気負ってしまってバテてしまいがち。だが、こちらといえば、大物アーティストが出てくる本番まで十分な準備期間がある。とはいえ、それまでただダラダラと過ごす訳ではない。音楽好きが集まってくるので色んなところで音は鳴ってる。地元のインディーズバンドのステージもある。なんかこの、徐々に体をフェスに合わせていくって感じが心地好い。

今回は一人での参加だったので朝から夜中まで結構ストイックに突き詰めてみた。誰かと一緒だと、途中で着替えにテントに戻って、そこでビールとか飲み出しちゃって、あーもーめんどくさいから次のは行かなくてもいっかー、なんてことになりがちなのだ。

誰もが皆はしゃいでいるのでたとえ一人でもとても楽しい。楽しむことに後ろめたさを覚えるような社会はやはりどうかしている。楽しいときは全身全霊楽しめばいいのだ。それにしても西洋人はやはり楽しむことが上手い。与えられたそれをこなすだけではなく、自分でいかに楽しみを作り出すかという創作能力にも長けている気がする。お姉ちゃんが通り過ぎる度に点数ボードを挙げている奴らがいたり、『ラスト・クリスマス』を流しながらサンタの格好で練り歩いてる奴らがいたり。よく思いつくよなぁ、そういうの。



そんな中、ビールの空き缶やカップなどポイポイそのへんに捨てまくっている奴が多いのは気になった。飲み終えたそばから蹴っ飛ばしたりして。そんなことをしてカッコつけてるつもりなのか!?プリプリ腹を立てていたのであるが、なるほど、どうやら空き缶やプラスチックのコップを持っていくとお金に換金してくれるシステムがあるらしい。よく見ると会場の脇でゴミを集めている人がたくさんいる。それを目当てにひと稼ぎしに来てる人たちも多いのである。でも、なんだか皆が皆それぞれ得をするようになっているし、システムとしてはうまく出来ているかもしれないけれど、人の意識はこれでは全く変わっていかないのではないか。豚インフルエンザで日本中がマスクだらけになったなんて話を聞いては、ああ相変わらず神経質な国だなぁ(大げさではなく、ヨーロッパでは“ただの一人も”マスクをしている人など見かけなかった)などと感じていたのであるが、このへんの道徳観念に関しては日本人の方が遥かに進んでいるように思える。

世界は徐々に小さくなっているのではないか、そう感じることは多い。飛行機の値段はどんどん安くなっている。大都市には必ずマクドナルドやケンタッキーがある(鶏肉が好まれるイスラム圏ではマクドナルドよりケンタッキーの方が強かったりするのはそれはそれで面白い)。世界中のどこでもインターネットで最新の情報を得ることができるのはとても便利だ。だが、これが更に進んでいったならば、それぞれの地域や文化の特色など消えてしまうのではないか。例えば日本ひとつとっても、かつてはその土地の名物というものはその土地でしか食べられなかったはずだ。だからこそ、本や芝居や人づてに話を聞き、その名物に舌鼓を打つ、それが旅の醍醐味の一つだったはずである。だが現在では明太子でもたらば蟹でも、郵送一つで簡単に産地直送の名物が手に入る。国道を走っていても景色がほとんど変わらず面白味がない。どこに行っても似たようなファミレスが立ち並んでいる。

しかし、文化と文化の垣根が無くなるというのは、新たな文化が生まれるきっかけともなり得るのではないか、今回そう感じることができた。例えば、モンゴル民族音楽のようなバンドが出演していたのだが、中にはブルースやカントリーのような曲もあり、それがまた新鮮で実に面白かったのだ。シンガポールにfish head curryという料理がある。その名の通り、魚の頭を煮込んだカレーだ。シンガポールに住みついた南インドのタミール人が作り出した料理であるが、もともと南インドには魚の頭を食べる習慣がなかったらしい。だが、隣人である中国人が魚の頭を食べているのを見て、料理に使うようになったのだそうだ。fish head curryはそうして生まれた。インドカレーでありながら、異なる文化が融合することで生まれたれっきとしたシンガポール料理なのである。そんなふうにして新たなものが生まれ続ける可能性があるならば、それは決して悪いことばかりではないような気もした。

当然ながら音楽フェスにおいて最も重要なのは、どこに行ってもいい音楽が流れていることだ。だからこそ、それが出来ているのはとてもすごいことだと思った。世界は本当にすばらしい音に溢れているのだ。

ところで、一週間もの長きに渡りテント生活をしていたため、フェス直後に体調を崩してしまった。これがまたひどかった。発熱、咳、鼻水、のどの痛みのオンパレード。体の各セクションが菌を追い出そうと頑張ってくれているのはわかるが、同時にやられるとちょいとキツい。自分史に残るほどの大汗をかいた。次から次へと目から目やにが溢れ出てきた。朝起きたら、まぶたにビッシリと固まりついて目が開けられなかった。さながらひとり人体の不思議展だ。思えば、朝晩の寒暖の差もある中、一昼夜屋外を歩きっぱなし。10万人もの人が集まり、会場で配られる水を回し飲み。そりゃ風邪も感染るというものである。新型インフルかもしれぬ。あいつらマスクしてないからな。


北欧を自転車で走る
デンマーク
↓07.07
スウェーデン
↓07.10
デンマーク
↓07.11
スウェーデン
↓07.19
ノルウェー




というわけで、ドイツで自転車を購入。フェス後にコペンハーゲンをスタートし、北欧を走り始めた。目指すはヨーロッパ最北端のノールカップである。とりあえずはノルウェーのオスロにたどり着いた。

デンマークからスウェーデンには橋が架かっているが、電車専用なので自転車では渡ることができない(電車に乗せれば可能であるが)。自分は、コペンハーゲンの北に位置するヘルシンゲルからフェリーで渡ることとした。すぐ向こうに対岸のスウェーデンが見える。フェリーに乗っている時間はわずか15分かそこらだ。

スウェーデンを走り始めてすぐに、最北端から下ってきたというカナダ人のチャリダーのおっさんとすれ違った。いわく、ここまでに36日間かかったという。かなり自転車慣れしていそうなおっさんだったので、自分の場合はそれ以上かかりそうだ。ともあれ、こうやって出会った人と情報交換をするだけで旅をしている実感が湧く。自転車で旅をするだけで人が話しかけてくれる機会が増える。話題のとっかかりがあるので話も広がりやすい。ヨーロッパでは見知らぬ人と会話をする頻度が少なかったので、実に新鮮な気分である。



スウェーデン南部には、木立の中を行くサイクリングルートが用意されていた。木々の間を自転車で走り抜ける。とても心地好い。今のところ、オーストラリアでの自転車旅と比べると遥かに楽だ。あの頃は水も食料もギリギリだった。多く用意すればそれだけ重量が増す。スピードも遅くなる。自転車も壊れやすくなる。少なければ少ないで体力的な問題が出てくる。
「何日間で次の町にたどり着かねば水が持たない!」
せっぱ詰まった状態だった。精神的にも余裕がなかった。道端にはカンガルーの死骸がゴロゴロと転がっていた。死というのは自分が思っているよりもずっと身近に存在するのだな、などと思ったものだ。それに比べ北欧の喜びに満ち溢れていること!命の危険などというものは、なるべくならあまり感じたくはないものである。

西オーストラリアと違う点を列挙すると、
1.町が多い
2.坂が多い
3.雨が多い
といったところだろうか。町が多いのはほんとに嬉しい。頻繁に水や食料を補給できる。体力的な問題はもちろん、荷物を大量に積む必要が無くなるというのも非常に大きい。坂はまあ、上ったら下れる。厳しい山脈越えがあるわけではない。景色の変化にも富むのでむしろ気持ちの面では張りが出るかもしれない。うっとうしいのはやっぱり雨だ。荷物も重くなる。体力も奪われる。何より気持ちが萎えるのがよろしくない。今のところはまだ雨に打たれても寒くて凍えるというところまでは至っていないが、何でも北極圏も非常に雨が多いらしい。上記のカナダ人のおっさんの話だとノールカップではまだ雪がちらついていたとか……。

それでも、夏の北欧、自転車で道を走っていると、苺摘みをしている農家のおじさんが遠くから
「頑張れよー」
なんて手を振ってくれる。のどかである。あえて不平を言わせてもらうならば、建っている家々がどれもシンプルながら小綺麗なところが惜しい。どこかの別荘地にも見劣りしないのではないだろうか。走っている電車も、北欧デザインなのだろうか、近代的かつ洗練されたフォルムで拍子抜けしてしまう。やはりこういう景色には、寂れた民家や朽ち果てた廃屋が点在しているくらいの方が趣きがあっていいのだが。などと、通り過ぎるだけの人間は実に身勝手なことばかり考えているものなのである。

もっとも、このあたりは北欧で言えば中心部。車でちょっと走れば都市に出られるわけで(自転車で3日かかる距離も車だったら2、3時間だ)、人の気配が減っていくのはきっとここから先なのだろう。大都市オスロを去った後、ひとまずの目標地点はフィンランドのロヴァニエミ。北極圏の入り口だ。サンタが住んでるとこである。世界最北のマクドナルドがあるらしい。

スウェーデン第二の都市のヨーテボリですら日本語の読めるネットカフェが見つからなかった。次に更新できるのはノールカップにゴールした後かもしれない。


ノールカップ到着
ノルウェー
↓07.25
スウェーデン
↓08.04
フィンランド
↓08.10
ノルウェー




8月14日、ノールカップに到達した。走行距離は約2700km。コペンハーゲンを出発してから37日間。序盤に出会ったチャリダーのおっさんとほぼ同じペースであった。

ノールカップは想像していた以上の観光地だった。荒涼とした景色の中で静かに感慨に浸ろうと思っていたので拍子抜け。それでも、自転車で這いずりながらたどり着いただけあって達成感はひとしおだ。これがバスや電車だったら、
「ふーん、最北端ね。ふーん」
で終わってしまった気もする。正確にはノールカップはヨーロッパ最北端ではない。ここから歩いて更に20kmほど行ったところが最北端だとか(車や自転車では行くことができない)、そもそもノールカップは島の中にあるので真の最北端は別の場所にあるのだとか(海底トンネルで繋がっているので地続きだという理屈)、色々な話があるがそんなことは問題ではないのだ。ともかく皆、「最果ての地」が好きなのである。他の観光客が楽しそうにはしゃいでいるので、こちらとしてもテンションが上がるというものだ。

北極圏に入った途端、今まで全く見かけなかったトナカイが現れたのは面白かった。北極圏といえども夏だ。晴れれば暑い。日焼けだってする。だが、ノールカップ付近になると、海から直接風が吹き込んできて肌寒かった。冷たい雨に打たれて凍え続けることもあった。



どれだけ北へ進んでも、町は点々と存在した。おかげで自転車旅そのものは想像していたよりも遥かに楽だった。最北の地にも人々の営みがある。それは、なんだか不思議な事実だった。確かに、牛を放し飼いするくらいしか使いみちのない不毛な西オーストラリアに比べれば、緑もある、水もある、豊かな土地だと言えるかもしれない。これだけ海岸線が入り組んでいれば、魚もたくさん採れるだろう。だが、
「なぜ人々はここで暮らしているのか」
それが自分には疑問でならなかった。その答えを見つけ出すのは難しかった。

これだけの広い国土がありながら、なぜあえてこの北の果ての地に住み続ける必要があるのか。もちろん、当然ながら過疎化の問題は抱えているには違いない。しかし、その生活を守り続けようとする人々がいるのもまた事実であろう。誰かが引き継いで行かなければどこかで途絶えてしまう。それはわかる。自分がそこに惹かれるのは、人が流れながら変化を繰り返す東京という地に生まれ育ったからだろうか。現在の自分とは対極に位置する行為だからだろうか。故郷が人を引きつける力はそれだけ強力だということなのだろうか。それともただの惰性なのだろうか。だが、一つの場所に留まり続ける行為には、流れ続ける以上の強さを必要とする。自分にはどうしてもそう思えてならない。


凱旋
ノルウェー
↓08.24
デンマーク
↓08.26
ドイツ
↓09.04
オランダ
↓09.11
ベルギー
↓09.18
フランス




ヨーロッパ最北端のノールカップから船と電車を乗り継いでコペンハーゲンに帰ってきた。自転車旅のスタート地点がコペンハーゲンだったので、そこから再び南下すればルートを繋げられると考えたからだ。

自転車を運ばなければならない都合上、ノルウェーの西岸を結ぶフェリー、沿岸急行線を利用した。ノルウェー第二の都市ベルゲンまで五日間。ノルウェーの物価の高さも相まってお値段は非常に高い。部屋を付けると料金が上がるので毎晩サロンのソファーで寝ることにした。他にも似たような旅行者はいるだろうと高をくくっていたのだが、一駅二駅で降りる客はいても自分のように長距離移動のバックパッカーはいなかった。それもそのはず、バスを利用した方がずっと安いのである(しかも後に聞いた話では実はバスに自転車を積むこともできたらしい)。フィヨルドを巡る船の旅。景色は絶景の一言だったが、乗客のほとんどがリッチな船の旅を楽しみに来た人々だったので自分は完全に浮いていた。風貌から英語が理解できないと思われたらしく、他の乗客が
"Look!  He is very strange."
と陰口を叩くのが聞こえてきた。悲しかった。こっちだってちゃんと定められた料金を払っているのだ。変に差別するのはやめていただきたいものだ。



ベルゲンから電車でオスロ、そしてまた船でコペンハーゲン。ずっと自転車で北極圏を走ってきたおかげで、大都市の景色は非常に新鮮だった。街中にアートが溢れかえっているように感じられる。大都市には様々な場所から人が集まる。自ずと文化も入り交じる。オスロで道に迷っていたら、アラブ人街のようなところへ出た。北欧風デザインのモスクが建っていた。つい一ヶ月前に滞在していたにも関わらず、前回は見えていなかった色々なものが目についてとても面白かった。

当たり前のように一つの世界に慣れてしまうと、そこから出たときに感じる衝撃は大きい。デンマークからドイツに入ると、急に道が複雑になって迷ってしまった。都市への標識を頼りに進むと高速道路に出てしまうのだ。ドイツからオランダに入った途端、自転車道路の幅が広がった。事細かく自転車用の案内が出ている。人々が自転車で移動する事が前提とされているのがよくわかる。フランスでは自転車道路が減って非常に走りづらくなった。車の方が地位が高いようだった。ドイツ人の家に泊めてもらったときに
「日本の高速道路は制限速度が100kmだ」
と話したら、ものすごく驚いていた。当然だろう。アウトバーンは制限速度無制限。ドイツでは一般道でも100km出せるのだ。日本の満員電車の話をしたら爆笑していた。ロンドンでもパリでも、電車が混んでいれば人々は次に来る電車を待つ。そこまで混雑していたわけではないのでちょっと押し込んで乗車したら、
「なんてことをするのだ!?」
という顔で睨まれた。常識などというものは、場所が変われば変わってしまう。ただそこに存在するのみなのだ。

フランスに入ると急に丘が増えはじめた。オランダやベルギーは真っ平らだったので走るのは非常に楽だった。だが、平坦な道ばかり続くとどこか退屈してしまう。それでいて、坂道が続けばやっぱりうんざりしてしまう。勝手なもんだ。些細なものばかりを集めながら一歩一歩進んでゆく。それと引き換えに、大切なものは失われていく。なんと滑稽なことだろう。
 
自転車でのとりあえずの目標はスペイン、バルセロナ。そこらで自転車を売ってモロッコからアフリカを南下する予定。半年もヨーロッパにいたため随分と骨を抜かれてしまった。結構びびっているのである。


3周年
明らかに以前よりも自転車のペースが落ちている。体力的な問題よりも、単純に日が短くなったことが原因であろう。なんせ北極圏を走っていた頃は毎晩23時くらいまで明るかったのだ。それが今では18時くらいには野営できる場所を見つけねばならない。朝8時くらいでもまだ暗い。そして何より、朝晩の冷え込みが半端じゃないのだ。結果、かなり日が昇ってからのスタートとなってしまう。寒さに追われ、早いところピレネー越えしてスペインに入らなければやばそうだ、思いながらも一向に前に進んでいかないという現状だ。

現在は『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』を辿っている。なんでもスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラという教会には聖ヤコブさんという人が眠っているとかで、ローマやエルサレムと並ぶキリスト教の三大巡礼地の一つなのだそうだ。フランスからそこを目指す道には大まかに4つのルートがある。自分が走っているのはパリを起点とした『トゥールの道』。最終的にはスペインに入った後でバルセロナ方面に折れるので完全に巡礼達成とはならないのだが、それはまあ長い人生のどこかで引き継げば良い。そこまででもちょっとした巡礼者気分を味わいたいではないか。


歩いて旅する人もいる。ゴールはここから1000km以上も先だ。

そんな中、旅に出てから丸3年を迎えた。そのうちの1年間はオーストラリアなわけだが、ともあれ日本を出てから3年である。

3年目。日本からずっと使い続けてきたものに立て続けにガタが来はじめたのが印象的だった。ジーンズはエジプトの地に葬った。バッグのチャックは壊れ、バックパックのバックル部分は割れ、テントのポールは折れた。盗難にも二度遭った。スーダンでは寝ている間に財布からお金が抜き取られ(20ドル程度だったので良かったが)、チュニジアでは外出している間に扉が開けられカメラが盗まれていた(フィルムカメラだったので写真数枚の被害で済んで良かったが)。体調が思わしくないときもあった。エチオピアでは一週間に3回吐いた。そのあとエジプトへと行く道程で角膜炎になり、二週間コンタクトレンズ禁止。小さなホクロが下唇に現れ、時間を経るにつれ大きくなっていった。皮膚ガンではないか?友人に言われ、ロンドンの皮膚科で採ってもらった。急性ということで保険が下りた。調べたところ悪性では無かったらしいので一安心。今までほとんど腹を壊してこなかったのに、ノルウェーで一週間、強烈な下痢に襲われた。魚市場でスモークサーモンを試食しまくったせいかと思われる。

旅に出た当初と比べると、海外で日本食を食べるという行為にもあまり違和感を覚えなくなった。特にヨーロッパに入ってからは、随分とアジアンレストランのお世話になっている気がする。東南アジアで欧米人が朝からトーストにスクランブルエッグなどを食べているのを見ていた頃は、
「なぜ海外に来て現地の食べ物を食べないのだ!」
と憤慨していたわけで、そんな自分も彼らからしたら、
「お前だって同じじゃねーか」
というとこだろう。必死で言い訳を探すとすれば、うーん、その店が現地の人たちに向けて作られたのか、ツーリストに対して作られたのかの違いだろうか。例えばパリでフランス人が行列を作っているラーメン屋に入るのにはあまり抵抗を感じない。北欧の寿司屋も若い女性客で繁盛していた。和食でも中華でもケバブ屋でも、ヨーロッパにおいて多種多様の料理が存在する、そのこと自体がもはや文化だと言えなくもないのだ。アフリカに入ったらきっとこんなに選択肢など存在しない。むしろ今のうちに食っとけ!という感じでもある。

日本語から離れているおかげで、言語に捕らわれずに物事を楽しむことにも少しは慣れてきたような気がする。音楽も、歌詞の部分にこだわらずに文字通り音を楽しむことが出来るようになった。かつて見たことのある映画を見たときに、以前よりも遥かに緊迫感が増していて衝撃を受けたこともあった。字幕を追うあまりいかに映像や役者の表情を見逃しているか、思い知らされた瞬間だった。

とはいえ、言葉がわからなくても容易に楽しむことの出来るスポーツ中継の存在はやはり非常にありがたい。ノルウェーのフェリー移動の際には世界陸上がやっていた。ウサイン・ボルトのおかげでだいぶ退屈が紛れた。シチリアに上陸した翌日にはWBCの決勝、日本×韓国戦があった。それを観たいが為にパレルモの高級ホテルを片っ端からあたり、ケーブルテレビがあるか尋ねて回った。最終的に晴れてESPNの映るホテルを発見。部屋代 100ユーロ。テレビで野球を観戦するために大枚をはたいた自分にうっとりした。日本が優勝した上に、試合内容も素晴らしかったので大満足であった。



ここ一年間での変化といえば、サッカーを観るようになったことが挙げられる。現在、南アフリカでのワールドカップを目指しているので、意識して観るようにしているというのはある。きっかけは中国でのEUROのテレビ観戦だった。監督としてロシアを率いたヒディンクが祖国オランダを破ったその試合。なるほど、戦術とかそういうことはさっぱりわからないが、だったらドラマとして見れば良いのだ。おお、いつもは同じチームのあの選手とあの選手が敵同士で戦っている!C・ロナウドがルーニーを退場させやがった!そういうのがわかるだけで面白さは何倍にも増すはずなのだ。

やはりワールドワイドなスポーツだけに、他のどのスポーツよりも目にする頻度は多い。わかってくると他国の人と話ができるのも楽しい。今までで一番面白かったのはエチオピア。街中にスポーツバー(と言ってもカフェにテレビが置いてあるだけ)があって皆で観戦するのだが、その盛り上がりっぷりと言ったらものすごかった。賭けなどが行われているわけでもなさそうだ。ただただ純粋に贔屓のチームを応援している雰囲気だった。点が入れば叫び出す踊り出す。テレビで観てるだけでこれなんだから、スタジアムに連れていってやったらこいつら失神するんじゃないかと思った。

アディスアベバにいたときにはクラブW杯がやっていた。エチオピア人に混じって観戦した。カードはマンチェスター・ユナイテッド×ガンバ大阪。そりゃどう考えても当然マンUが勝つだろう。こちらとしては日本のチームがどれだけいじらしく奮闘するか、それが観たいだけなのだ。親善試合気分で臨んでいるのに、エチオピア人と来たらヨーロッパとアジアの実力差なんて全くわかっていないのである。全力で馴染みのマンUを応援していた。完全アウェーだ。日本の選手を指差しては、「チャイナ!チャイナ!」と笑い転げていたのが気になった。みんな喜んでいたので楽しかったが。

この旅でスタジアム観戦した試合。
2008.09.10 ウズベキスタン×オーストラリア(W杯アジア最終予選)
2008.10.15 イラン×北朝鮮(W杯アジア最終予選)
2009.04.11 インテル×パレルモ(セリエA)
2009.04.16 マルセイユ×シャフタル・ドネツク(UEFA CUP)
2009.08.30 ハンブルガーSV×ケルン(ブンデスリーガ)
2009.09.05 オランダ×日本(国際親善試合)
2009.09.09 日本×ガーナ(国際親善試合)
2009.09.20 パリ・サンジェルマン×リヨン(リーグ1)

オランダで見た親善試合。試合前からスタジアムの周りでオランダ人がとても楽しそうにしているのが印象的だった。親善試合というのもあるだろうが、ビールなど飲みながら実に和気あいあいと盛り上がっていた。一方で、知り合い同士凝り固まってどこか弾けきらない日本人。緊張気味で、なんだか気圧されている感さえある。自分が一人ぼっちだったから余計そう感じただけだろうか。けれど、現地で知り合った駐在日本人も
「日本人ぜんぜん知らない人と喋らないねー」
と言っていたから、やはり多少そういう面はあるのだろう。ワールドカップの舞台では更に更に様々な国の人々が集まるわけで、そりゃどう考えても面白いに違いない。それぞれの国民性みたいなものが垣間見れたりもするかもしれない。日本で開催されたときには全く気付かなかった部分であるが。

日本×ガーナ戦の前日、試合が行われるオランダのユトレヒトの町を歩いていたら、ジャージ姿の日本代表選手(合宿中はジャージが正装なのだろうか?)数人に遭遇した。全員の名前がわかるほどの知識が無いのが残念だった。稲本がソフトクリーム買ってた。中澤が若手の選手らと記念撮影して、
「撮れた?」
「あー逆光だー」
とかやってた。考えてみると日本の選手たちも、予選ではカタールだとかバーレーンだとか良くわからない国にばかり行かされているわけで、自分たちを知る人のないヨーロッパの町をブラブラできるのは楽しくて仕方ないのではなかろうか。修学旅行みたいで実に微笑ましい光景だった。

というわけで、ここから先はアフリカを南下して南アフリカを目指す予定。自転車だととてもワールドカップに間に合わないのでバルセロナあたりで売り払う。明日は現在滞在しているボルドーでチャンピオンズリーグのボルドー×バイエルン・ミュンヘン戦があるが、一番高い席(120ユーロ)しか残っていなかったので諦めた。ホームでのバルセロナは絶対に見たい。可能であれば11月14日のモロッコ×カメルーン(W杯アフリカ最終予選)にも間に合わせたいのだが、さて、どうなることやら。


巡礼路をゆく
フランス
↓10.26
スペイン




パリから300kmほど南のポワティエという町を過ぎたあたりから、少しずつ巡礼路を示す標識が現れるようになった。徒歩での旅行者ともすれ違った。ヨーロッパ版お遍路さんみたいなものなのだ。だが、ここから目的地まではあと1000km以上もある。

道中にはキャンプ場がたくさんあった。大抵がシーズン終わりで閉まりかけているが、尋ねると無料でテントを張らせてくれるのが実にありがたかった。
「僕の父も以前に巡礼路を歩いたんだ。だから巡礼路を行く旅人はいつもタダで泊めているんだ」
自分はサンティアゴまで行かずに途中でバルセロナ方面に行くのだが……申し訳なくなるくらい皆親切にしてくれる。

そんな後ろめたさも手伝って、徒歩旅行者と同じ道を掲げられている標識に従って進む。畑のあぜ道を通ったり森の木立を突っ切ったり。未舗装でぬかるんだ道や急勾配の砂利道を荷物を満載した自転車で行くのは結構しんどい。標識を見失って要らぬ時間を費やすこともあった。そうこうしているうちに、予定していた日程の倍近くを消費してしまった。まあ実のところ地図を持っていなかったので標識に頼り切っていたというのもあるが。

パリから数えて20日間、ようやくフランスとスペインの国境近くの町、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーに到着した。サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの道を歩く旅行者はこの町を起点とする人が多い。ここからでもゴールまでは800km、徒歩では約30日かかる行程だ。多くの巡礼者にとってはスタート地点であるこの町だが、自分にとってはゴールに近い位置付けだった。ここからは素直に国道を行こうと決めていた。徒歩の巡礼者と同じ道を行くのはあまりにも時間がかかりすぎるし、この先に控えるピレネー越えを考えるとリスクが高すぎるように思えたのだ。徒歩の道は、いずれサンティアゴまで歩くときに堪能すればいい。

だが、町を出てのっけから道を誤ってしまった。人々がにこにこしながら「こっちだ」「こっちだ」と言うので素直に従って行ったら、まんまと徒歩用の道に入ってしまったのだ。途中で気付いたときには時すでに遅し、随分と上り坂を押し進んだ後だった。同じ道を下って戻るのは進む以上に勇気がいることだ。しばらくすれば下りになるだろうし、国道へと折れる道も見つかることだろう。道が舗装されているだけまだましだ。そう思って先に進むことにした。だが、どれだけ急勾配を進んでも一向に終わりが見えない。ここを過ぎれば下りだろう、目星を付けたところまでたどり着く。道は折れていてその先が見えない。曲がり切るとその先にまた果てしない上り坂が続いている。その繰り返し。何人もの徒歩巡礼者に追い抜かれた。急な上り坂においては自転車は蚊ほどの役にも立たない。ただの足枷である。道の向こうに目をやると徒歩巡礼者の姿はもうない。どうやら相当のスローペースであるらしい。こうなると当初の目的地どころか徒歩での一日の行程すら消化できないのではないか。汗だくになりながら焦りはじめる。さっきまでいた町が眼下に広がる。先にはピレネーの山々がそびえ立つ。景色だけは文句なくすばらしい。これを越えて行かねばならない、そう思うと気が遠くなるとはいえ。


このくらいだと思っていたら


こんなとこまで来てしまった。

ついに上りきった!と思ったところでまた上り。しかもそこで舗装路は途絶えていた。砂利道を登り尾根づたいに道が進んでいるようだ。さすがにここが限界だろう。幸いにも少し手前に国道に逸れるらしき道があったのでそちらに折れることにした。今までさんざん上ってきた分恐ろしいほどの下り坂。猛スピードで自転車は進む。同時に不安が胸をかすめる。
「あれ?これ、戻ってないか……?」
だが、ここまで下ってしまった以上また引き返せるはずもない。

下り下って着いたのは、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからわずか10km先の町だった。そこまでに所要5時間という大失態。仕切り直して国道を進む。当然再び上り坂。先程と比べれば緩やかではあるが、もはや体力を使い果たしてしまった。20km走り、日が暮れた頃にようやく歩き巡礼者と同じ町にたどり着いた。

オフシーズンにも関わらず、アルベルゲは巡礼客で賑わっていた。アルベルゲとは巡礼者宿。巡礼路で発行される巡礼手帳を持っていると泊まれるのだ。見渡すと、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーで同宿だった人達もいた。自転車にも関わらず同じところまでしか来れずにちょっぴり気恥ずかしい。朝に別れの言葉を交わしただけになおさらだ。宿に置いてあるのを見る限り自転車なのは自分ともう一人だけ。あとは全員歩きのようだ。

翌朝、今度こそ別れを交わして宿を発った。国道を一心不乱に突き進む。峠を越えたばかりなのでしばらくは下りだ。頭には、昨日汗だくで自転車を押していたときの景色がこびりついていた。徒歩の巡礼者たちは、あの速度で、あの景色と向き合いながら、目的地まで歩いていくのだ。歩くことでしか見ることのできない景色が確かにある。『歩く』という人間にとって最も単純な行為。その行為でもって、自分の心と対峙しながら、意識と無意識を織り交ぜながら、一歩一歩を刻んでゆく。羨ましかった。絶対にいつか戻ってくるだろうな、そうぼんやりと心に思った。
欧州のどんつき


スペインに入ると、土の色が一変した。ヨーロッパとは思えないほど荒涼とした景色。まるでオーストラリアにでも迷い込んだようだ。思えば北欧がヨーロッパの北の端ならここイベリア半島は西の端。果ての景色とも言えるような大地が続く。

そのように考えると、街の変わりようもまた納得である。他の国々の洗練された感じに比べ、随分と粗雑さが増した気がする。“Hola!”という挨拶がその性格を物語っている。カラッとした雰囲気で居心地は非常にいい。カフェやレストランも、室内での喫煙がOKな店が多くて驚いた。以前はタバコをやめていたのでおぼろげではあるが、確かイタリアあたりでも室内は禁煙だった気がする。それ以降ヨーロッパ内では当たり前のように室内禁煙が謳われていた。コーヒーやビールを飲みながらタバコを吸えるなんて素晴らしい。細かいことにガタガタこだわらないところは実に好感が持てる。なんというか、非常に付き合いやすい国である。

ここに到るまで、イギリスや北欧、フランスなど非常に物価の高い国を通ってきた。それに比べてスペインの安いこと。巡礼路には巡礼者用のメニューがあった。コースメニューで9ユーロ。ワインまで付いていた。カフェに行けばスポーツ新聞が置いてあり、常にテレビでサッカーが流れてたりする。そして何より、バルの存在がありがたかった。こじんまりとしたバーがたくさんあり、種類豊富な小皿料理を堪能することが出来る。並ぶのはオリーブやイカフライなど酒のツマミになるものばかり。イギリスのパブでもフィッシュ&チップスなんかを食べることが出来るが、味も雰囲気も全然違う。こういう一杯飲み屋のような店はありそうで今まであまり無かった。スタイルとしては日本の居酒屋と非常に近いように感じる。毎晩、カウンターに多くの人が腰掛け談笑している。良さげな店を探してハシゴをするのも楽しい。バルを2、3件廻ればそれなりに腹も満たされ、ほろ酔い気分で宿へと帰ることとなる。



しばらく旅を共にした自転車はバルセロナでなんとか売ることができた。久しぶりのバス移動。流れる景色も違って見える。長距離を一気に進むことができるのはそれはそれで嬉しい。スペイン南部のグラナダではいよいよイスラムの香りが漂ってきた。アルハンブラ宮殿は木々の中にたたずんでいた。庭園には花が咲き誇る。悠久の王宮に想いを馳せる。自分には荒涼と見えるこの大地も、海の向こうから来た彼らの目には水と緑に彩られた楽園に映ったのだろうか。欧州の行き止まりにあたるこの場所は、同時にその世界への入り口でもあるのだ。

本当は西の最果てポルトガルにも興味があったが、次の大陸へと渡ることとした。半年以上滞在したヨーロッパともこれでお別れ。次は久しぶりのイスラム圏、モロッコである。


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