UAE
↓10.24
オマーン
↓10.31
イエメン
UAEからオマーンへ陸路入国。この国もやはり金持ち臭がぷんぷんしていた。国境のイミグレーションからして違った。ATMでお金が降ろせる。なぜだかピザハットがある。国境でビザ取得ができるため、「待っている間ちょっとくつろいでいてくれたまえ」ということなのだろうか。ビザとピザを掛けているのか(絶対違う)。モニターが設置してあり、ケーブルテレビでハリウッド映画なんかが流されている。そこまで気を遣っていただかなくとも……。
日暮れた道を首都マスカットまで突っ走る。砂漠のところどころにぽつぽつと工場が建っている。暗闇の中、ちらちらと明かりが灯っているのが見えて興奮した。これがつまりあの産油国の象徴、煙突の上に炎が燃えているやつなのである。
会う日本人日本人に、
「オマーンって何があるの?」
と聞かれたが、行く前から想像していたとおり、特に何があるというわけでもなかった。とりあえず宿代が高い!出費的にはドバイとほぼ変わらず。まあドバイが25ドルでドミトリーのところをオマーンは個室というだけまだましではあったが、要するに安宿というものが存在しないのだ。首都マスカットは非常にきれいな町だった。『きれい』というのは、『クリーン』という意味だ。本当かどうかはわからないが、知り合ったインド人は、
「マスカットは世界で2番目に、シンガポールの次にクリーンな町なのだ」
と自慢していた。やはりこの町にもインド人は多かった。
オマーンには可愛らしいモスクが多い。
ついについに、イエメンにやって来た。イランからアラビア半島というルートを選んだのも、この国の存在が極めて大きかった。正真正銘憧れつづけていた国なのである。
だが、オマーンからバスでイエメンに入ったとき、何よりも強く印象付けられたのは、その『貧しさ』であった。アラブ最貧国とはいえ、隣接しているオマーンと比べて、国境ひとつ越えただけでこんなにも景色が変わってしまうのか。衝撃だった。
「趣きがある」
言葉を変えればそう表現できるのかもしれない。だが、その一言で語るのは乱暴すぎるようにも思えた。
ずっと見たいと思い続けていたサナアの旧市街。それだけに、実際に訪れるのが恐ろしくもあった。期待が高ければ高いほど、実物がその期待に追いつかないというのはよくあることで、更には、旅も長期になればなるほど色んなものに見慣れていってしまう。憧れていたそれに対面することによって、自分の感受性が磨耗しているという事実を真正面から突きつけられてしまうのでは。そんな恐怖がどこかにあった。
実際、旧市街の門の前に立ったとき、かつて雑誌で写真を見たときほどの興奮も感動も得られなかった。その落胆に、門をくぐって街を歩き回る力が沸かなかった。
イエメン人は昼間になると草を噛みはじめる。“カート”と呼ばれるそれは、噛み続けると軽い興奮作用をもたらすらしく、朝摘みたての新鮮なカートが昼には町にやってくる。その大量のカートがたった一日で消費されるのである。午後になると道の脇はカートを噛み噛み、恍惚とした表情の人たちで埋め尽くされる。働きながらもカート、道に立つ警官もカートである。隣のサウジアラビアやオマーンでは違法らしいが、ここイエメンでは合法。オマーンからイエメン行きのバスでも、国境を越えたとたんに乗客が売店に走り、みんなごっそり買い込んでいた。
国中をあげてのサブリミナル効果にすっかり乗せられ、自分も挑戦してみることにした。これをやらねばイエメンを語れない。旧市街を歩く気力を失った自分は、これこそが真のイエメンを知る手段なのではと言い聞かせ、昼間から果敢に噛みはじめた。そう、この草、食べるのではない。噛む。噛み続けるのだ。イエメン人は器用にこぶとりじいさんのごとく、リスの頬袋のごとく、次々と一方の頬にカートを溜め込んでいく。だが、試してみてもどうにも上手くいかない。どんどん口の中の草が減っていく。口内のあちこちに散らばったそれらをひとつにまとめ上げるべく、水などを補給しつつ体勢を立て直そうとするのだが、そのつど一緒に飲み込んでしまう。気付けばすでに一袋がなくなった。全部食べちゃったのだ。イエメン人が普通にやっていることをなぜできないのか。悔しいのでもう一袋。しかし、やはり食べてしまった。結局合計5時間くらい噛み続けたものの(通常、2時間くらいは続けないと効果が現れないと言われている)これといった変化は感じられず、と自分では思っていたが、その日の夜はやっぱりちょっと饒舌だった気がする。布団に入ってもしばらく寝付けなかった。そして、二袋も食べきってしまったため、予想どおり腹を壊した。
だが、真に恐ろしいのはその翌日だった。なんだか喉がやたらと痛い。鏡を覗くと、のどちんこの先が真っ白!他にも喉の入り口に無数の口内炎が出来ていた。そう、あとになって知ったのだが、慣れていない人が噛みすぎると口の粘膜に炎症をもたらすらしいのだ。ただでさえ口内炎が出来やすいのにそのうえ過剰摂取。重症であった。とにかく何をしていても痛い。何もしていなくても痛い。あまりの痛みに数日後には偏頭痛まで併発した。もちろん、飯を食べることほどツライ作業はない。こうなってくると、上手そうに食事する人々の姿がうらやましくて仕方なくなってくる。こうなってはじめて、イエメンには上手い飯が溢れていることを思い知らされた。
人間というのは勝手なものである。口内炎に苦しむ日々が終わると、町の姿が今までと変わって見えた。すべてが喜びにあふれている。生きているってすばらしいのだ!
心機一転、旧市街の中を歩き回ってみた。現存する世界最古の町と呼ばれているこの町。“世界最古”ということ、古めかしくて“趣きのある”デザイン、かつて雑誌で見たときにはそのことに心惹かれた。だが、実際はそれだけではない。町を歩いていて目に映るのは、駆け回る子供、市場で買い物をする女性、笑いながらカートを噛むおっさんたち、そこで繰り広げられる人々の営み。古き姿を残しながらも町がそのものが今もなお“生きている”、本当の魅力はそこにあるのだと気付かされた。
そして、イエメンの最大の魅力、それは何より『人の良さ』であると思う。首都であると同時にイエメンの中でも最大の観光地でありながら、ここサナアの人の良さはどうしたことか。金を持って集まる観光客からふんだくってやろうという意識がまったく感じられない。もともとイスラム教には“客人をもてなすべし”という教えがあるそうだが……。あるときに言われた言葉。
「イエメン人は『値下げしてくれ』と言われれば旅人のために値下げしてしまう。お前らは金を持っているのになぜそんなことを言うんだ」
他の国ではぼったくられることも多いので、どうしたって値段交渉が必要になってくる。それは旅のテクニックの一つだ。だけどその一方で、たしかに値段交渉そのものがゲーム感覚になっている瞬間があるのも事実だ。
ある町への移動途中、昼飯どきに食堂に立ち寄った。特に腹も減ってなかったのでチャイだけ注文して飲んでいると、傍らのイエメン人が話しかけてきた。何を言ってるのかわからないのでとりあえず笑いながら頷いていると、なんと金を差し出してくるではないか。どうやら、
「どうした?飯を食う金がないのか?」
と尋ねていたらしいのだ。もちろんそれは受け取らなかったが、なんという懐の深さだろうか。短刀を腰に差し、昔ながらの民族衣装を体に纏ったイエメン人たち。貧しいながらも確固たる誇りに充ちている。素朴で温和な表情の奥に。「貧しいことが良いことだ」という結論には絶対にしちゃいけないとは知りながらも、観光客が増え続けるとその姿も変化していくのかと思うと、旅人とはやはりどこかで有害な存在なのだろうかと考えてしまう。