洗剤を買いに町へ出た。洗面器やバケツを売っている店を見つけたので、手に『洗濯粉』と書いて聞いてみると、店のおばちゃんは向こうの方を指差し、中国語で何やら言っている。『電話』という単語だけ聞き取れた。その方向へ歩くと、言葉とおり電話を置いてある店を発見。晴れて洗剤をゲット!手に持ち意気揚々と引き揚げる姿を見て、さっきのおばちゃんが笑いかけてくれる。うーん、楽しい!洗剤ひとつ買うだけで、ロールプレイングゲームで重要なアイテムを手に入れたかのような感覚だ。
最近になってようやく、旅のリズムと自分の波長が合ってきた気がする。天津−北京−大同−北京−泰安−上海−蘇州−少林寺−洛陽−武漢−桂林と、中国に来て早一ヶ月。夜の列車で南宇、そしてベトナムへと向かう。名残惜しいがビザが切れるので仕方ない。
中国行きのフェリーに乗ったときのある夜、中国人のおばちゃんを中心に色々な会話をした。そのおばちゃんは日本で司法通訳をしていて、人生の半分近くを日本で過ごしているので日本語もペラペラ。
「中国人は面子が大事だからねー」
なんて自国のことを客観的に語っていて、とても面白かった。
その中でショックだったのは、日本で働いていた中国人の女の子の、
「親や友達に電話するたびに、『大丈夫?日本人は怖くないの?』と聞かれる」
という言葉だった。そんなことないと否定しても、なかなか信じてもらえないのだという。
1ヶ月もいれば、さすがに旅行者中国語くらいなら使えるようになってくる。いったん溶け合うと、チャイニーズはとてもフレンドリーだ。売店の娘が
「またこの町に来てね」
とか言ってくれたり、飯を食うときにたまたま向かいに座っただけのおっちゃんが、住所まで手渡し、
「次に来るときは遊びに来なさい」
なんて言ってくれる。社交辞令かもしれないけれど、一人きりで旅する身にはそういう些細な言葉の一つ一つが胸に染み入るのだ。
大同で修学旅行中の美大生たちに知り合い、彼らが住む武漢に会いに行ったときなど、町を案内してくれた上に実家にまで招待され、お婆ちゃんの手料理をご馳走になった。自分だったら知り合ったばかりの外国人にここまでしてあげられるだろうか。
電車での移動も比較的慣れてきた。トラブルが続いていた頃は、北京や上海といった大都会の影響で混雑していたせいもあったのかもしれない。こないだなど、車掌が通り掛りに
「Come here.」
と言って車掌室に呼び出すので、怒られたり尋問されたりするのかと思いきや、ただ単に英語が趣味のおっさんで外国人と話したいだけだったようだ。ブロークン・イングリッシュ&チャイニーズと筆談で1時間くらい談笑。なんのこっちゃ。
フェリーでの意見のひとつとして、
「中国人も日本人を知らないけど、同じくらい日本人も中国人を知らないからねー」
というものがあった。こうやってお互いがお互いの国を行き来して、それぞれコミュニケーションを取ることが、誤解を解くひとつの鍵なのではないか、と。確かに言えるかもしれない。
「そのためにはあなたたちも中国語を学ばなければ駄目よ」
フェリーで会ったおばちゃん談。いやごもっとも。